ヘーゲル紹介の途中ではあるが、ここで閲覧数を稼ぐために(冗談です)、今世間を騒がせている問題を取り上げてみたい。最初に確認しておくと、「性暴力や人権侵害は一切許容されない」、当たり前すぎることではあるが、これが僕のスタンスだ。

その上で、この女子アナ「上納システム」が、ある一部の人の非常識なふるまいではなく、誰でもその内部にその芽を持っているという流れで話を進めていく。これは「性暴力は人間の本性だから仕方ないのだ」と是認したいわけではないので、どうか誤読しないでいただきたい。(ここで言う「誰でも」はまさに「男性」ではないかという指摘もあろうが、ここでは便宜的に「誰でも」と記する。)

もう一つ確認しておきたいのは、この話題における「事実とされるもの」はすべて「証言」であるということだ。要するにそれは事実を自分で確認しているわけではないということである。たとえば、今日僕は、フジテレビの元アナウンサーH氏がホリエモンと対談したYouTubeの動画を視聴したが、その内容の一部については、さっそく同じフジテレビのアナウンサーから否定されている。そして、そのどちらが正しいかについて、僕は判断基準を持たない。しかし、今日書くのは性暴力についての「本質的な」話であるので、基本的な内容はそういった事実に影響されないはずである。

正直に告白すると、僕はフジテレビはもちろん、テレビ業界に興味はないし、民放の番組にも、女子アナにも、社内の権力争いにもまったく興味はない。またN氏が行ったとされる類の行為にも関心はない、というより、むしろ嫌悪を覚える。僕が唯一興味があるのは、「人間は富と権力を手に入れると、なぜ性的に他者を支配したがるのであろうか」という点である。

それを論ずる前に、まず今日視聴した動画の内容を紹介しよう。まあその元アナウンサーH氏の話を信じるとしての話だが。この動画によると、この「上納問題」はテレビ界全体の問題というよりは、フジテレビ特有の問題であったことがわかる。なぜならば、フジテレビでは、(男女を問わず)アナウンサー達がが直属の上司に逆らえない体制(「接待に行け」と言われれば行く体制)となっており、さらに女子アナは、「ホステス」としての役割を務めることが当然のこととされていたからである。

また、日常的に宴会や旅行で(あたりかまわずキスをするなど)乱痴気騒ぎは行われていたが、本当に悪辣な性接待に関与していたのはフジテレビのある幹部社員であったこと、この問題をリークしたのは、被害者X子さんでは断じてなく、日枝(とその仲間)を蹴落とそうとしている反対勢力であること、なども動画の中で語られている。

この動画は55分近くもあり、このような社内権力構造や資金の流れについて「実話」が語られているのだが、この元アナウンサーにしてもホリエモンにしても、関心があるのは、今後のフジテレビの株価や、誰が次期社長になるかであって、この問題の倫理的な面にはまったく触れず、あるいは「今の時代ここまでやってしまうのは、さすがにマズイよねえ」という世間知から一歩も出ることないのには驚いた。

では、このフジテレビ「上納問題」を袋叩きにしているネット民は「倫理的」なのであろうか。おそらくそうではあるまい。彼らは単に特権階級を羨んでいるにすぎない。なぜ、自信を持ってそう言い切れるのか。それは、民放のTV番組(YouTube等で確認する限り)、特にフジテレビの番組内容そのものが、女子アナ「上納」を肯定あるいは反復するような低俗な内容(あからさまな露出や、性的な内容を含む)に満ち溢れており、私たち視聴者はそれを面白がって(スタジオに笑い声を充満させて)、長きにわたってそれを良しとしてきたからである。分かりやすく言うと、私たちも女子アナを、ブラウン管の中の(今は液晶の中か)「ホステス」としてしか見なしていなかったのである。

さて、少し前「ジャーニーズの性被害」が話題になったが、今回のN君はSMAPで、SMAPはジャーニーズなのだとしたら(よく知らないが)、ジャーニーズは、性被害者であると同時に性加害者でもあることになる。さらに言えば、あそこまであからさまな性暴力はないとしても、性的な加害を「性的な視線を向けること」まで含めるとしたら、すべてのジャーニーズは、いやすべてのアイドルや「推し」の対象は被害者であると同時に、そのような視線を招き寄せるものとして加害者でもある。少なくとも「性的な視線」のメタファーは「推し活」の世界に満ち溢れているのだ。(この問題は、本題から逸れている上に、論議を呼びそうなので、機会を改めて論じたい。)

さて、最初の問いに戻ろう。政治家にしろ、芸能人にしろ、あるいは大学教授にしろ、「人間は富と権力を手に入れると、なぜ性的に他者を支配したがるのであろうか。」

ここで「性的な支配」とわざわざ書いたのは、ここには「恋愛」も「性愛」もないからだ。恋愛とは相手の人間性を尊重する行為であるから、性暴力はその対極にあるし、本来的な意味の「性愛」は、相手にも快楽を与えるコミュニケーション行為であるから、当然今回の問題とは関係がない。

この性暴力の「性的な快楽」の本質は何かと言うと、人間(女子アナ)をモノ扱いし、彼女たちのアイデンティティを剥奪することなのである。いや、「モノ扱い」は少し単純な書き方で、「自分の手で人間がその人間性を剝ぎ取られて、自分の意思に反して、単なるモノに堕していく」そのプロセスが、すなわり彼らの「快楽」なのである。すなわち他者のアイデンティティを「否定」することによって、己のアイデンティティを再確認するという本性である。(以前『ガザ』のところで書いた「強迫神経症」的な本性である。)

このように書くと、それはごく一部の人の特殊な行為だと思うかもしれないが、ひとたび権力や富を得た者は、相当な割合でこの種の「快楽」を得ようとしているという事実を考えてみよう。これは、もはや私たちの中に潜む「本性」とさえ言えるのである。内に「潜んでいる」わけなのであるから、そのような機会(「特権」や「富」)に恵まれない?普通の人にはその欲望は顕在化せず、「自分にはそのような願望はない」と自分では思うであろう。
(もう一度繰り返すが、「本性」だから仕方ないと言っているわけではないし、そのような「本性」をまったく有しない人もたくさんいることはよくわかっている。)これは、「戦争が人間の「本性」なのであって、人間は本来戦争をやりたがっているのだ」という考え方に共通する。(これも雑な言い方なのだが、本題から外れるので詳述はしない。しかし、そう考える専門家は多い。)

このような「上納システム」が機能しないように、チェック体制を整えるとか、法を整備する、あるいは権力の集中や固定化を避けるといった方策も重要であろうが、私たちはいとも簡単に「他人を物象化してしまう」という自覚を持ち、無理をしてでも〈意識改革〉をしていかなければいけないのだろうと思う。そしてそれは口で言うほど簡単なことではない。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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