リヒャルト・シュトラウス『4つの最後の歌(Vier letzte Lieder)』をで聴いてきました。オーケストラ:東京交響楽団、指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ(ちなみにすごいイケメンです)、ソプラノ:マリーナ・レベカ、会場:ミューザ川崎シンフォニーホールです。
ラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ(全曲)』とカップリングでしたが、今回は前半の『4つの最後の歌』の話をします。なぜならこの曲は昨年亡くなった義父の愛聴していた曲でもあり、追悼の意味も兼ねているからです(奇しくも今日は義父の月命日でした)。
この作品は、単に美しい歌曲というだけでなく、一人の偉大な作曲家が人生の終着点を見つめ、静かに、そして豊かに織り上げた「生への感謝と惜別」のメッセージです。音楽の歴史的背景やその魅力について、紐解いていきましょう。
まず歴史的背景ですが、リヒャルト・シュトラウス(1864–1949)は、若い頃から華やかな交響詩やオペラで大成功を収め、音楽界の頂点に君臨した天才でした。しかし、彼の晩年は決して平坦なものではありませんでした。彼が80歳を迎える頃、第二次世界大戦によって祖国ドイツは焦土と化し、彼が愛した劇場や文化は破壊されてしまいました。戦後は政治的な混乱に巻き込まれ、全財産を凍結されたシュトラウスは、1948年傷心のままスイスのモントルーへ事実上亡命することになります。
心身ともに疲弊していた老作曲家に、一筋の光をもたらしたのが、1946年にノーベル文学賞を受賞した詩人ヘルマン・ヘッセの詩でした。シュトラウスは以前からヘッセの詩に深い共感を覚えており、1948年、84歳の時にその詩へ曲をつけ始めます。これが、彼の事実上の白鳥の歌となった『4つの最後の歌』の誕生のきっかけです。(第4曲のみはアイヒェンドルフの詩です。)
実は、シュトラウス自身がこの4曲を「セットの作品」としてひとまとめにし、『4つの最後の歌』と名付けたわけではありません。彼が亡くなった翌年の1950年、遺稿を整理した出版社によってこのタイトルが与えられ、彼の死後初演されました。指揮はあのフルトヴェングラーです。
次に、その音楽的特色を見ていきましょう。シュトラウスの妻パウリーネは、かつて高名なソプラノ歌手でした。彼は生涯を通じて妻を深く愛し、彼女のために数多くの歌曲を書きました。この『4つの最後の歌』も、人間の声の中で最も華やかで切ない「ソプラノ」のために書かれています。オーケストラの豊かな響きに溶け込みながら、どこまでも高く昇っていくソプラノの旋律は、まるで魂が天へと昇天していくかのような崇高さを感じさせます。
シュトラウスは「オーケストラの魔術師」と呼ばれた人物です。単に伴奏としての音楽ではなく、楽器の音を使って、夕暮れの光、そよ風、鳥の羽ばたきといった情景や、人間の心理をありありと絵画のように描き出します。特に注目したいのは、各曲の要所で奏でられるホルンやバイオリンのソロです。これらは言葉以上に雄弁に、聴き手の心に語りかけてきます。
第1曲「春(Frühling)」
(H. ヘッセ) 四季の始まりである「春」を歌いますが、どこか遠い記憶を懐かしむような切なさがあります。暗い冬から光へと向かう、瑞々しいソプラノの跳躍が聴きどころです。
第2曲「9月(September)」
(H. ヘッセ) 季節は秋へと移り変わります。庭に降る雨、静かに散っていく葉。人生の全盛期を過ぎ、穏やかに衰えを受け入れる心境が描かれます。曲の最後、ホルンが奏でる優しく寂しげなソロは絶品です。
第3曲「眠りにつくとき(Beim Schlafengehen)」
(H. ヘッセ) 疲れ果てた体が、夜の眠り(それは死の暗示でもあります)を希求する歌です。歌が始まる前、一本のバイオリンが奏でるあまりにも美しいソロがあります。これが「肉体を離れ、自由に飛び立つ魂」を表現しています。
第4曲「夕映えの中で(Im Abendrot)」
(J. v. アイヒェンドルフ) 老夫婦が手を携え、夕暮れの静けさの中を歩む姿が描かれます。「私たちは旅に疲れ果てた。これがもしや死なのだろうか」という歌詞の直後、シュトラウスが若き日に書いた交響詩『死と変容』のメロディが静かに引用されます。最後はピッコロが「小鳥のさえずり」を模倣する中、音楽は静寂へと消えていきます。
一般的に「シュトラウス」の名前で最も広く知られている曲といえば、やはり交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』でしょう。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭で使われたあの圧倒的な日の出の音楽は、クラシック音楽に詳しくない人でも一度は耳にしたことがあるほどの知名度を持っています。
しかし、音楽評論家吉田秀和氏は、リヒャルト・シュトラウスの生涯の作品を振り返る中で、以下の3曲を「シュトラウスの最高の到達点」として極めて高く評価していました。
歌劇『ばらの騎士』 (1910年作曲 / 40代後半)
『メタモルフォーゼン(変容)』 (1945年作曲 / 80歳)
『4つの最後の歌』 (1948年作曲 / 84歳)
吉田氏は、若い頃のシュトラウスが書いた『ツァラトゥストラ』や『ティル・オイレンシュピーゲル』などの華やかで才気煥発な交響詩も認めていましたが、それらはどこか「名人芸的」で「これ見よがしなところがある」とも評していました。
それに対して、上記の3作品、特に晩年の2つ(『変容』と『4つの最後の歌』)については、「ここには技術の誇示や虚飾が一切消え失せ、純粋な音楽の美しさと深い精神性だけが残っている」として、シュトラウスの真の最高傑作であると生涯にわたって書き続けました。吉田氏がこの3曲を並べて称賛したのには、音楽的なつながりもあります。
『ばらの騎士』は、18世紀のウィーンを舞台にした絢爛豪華なオペラですが、その核心にあるのは「若さの移り変わり」や「老いゆくことの諦念と優雅さ」です。主役の一人である元帥夫人が、鏡を見ながら自らの衰えを感じ、若い恋人を去らせる場面の音楽は、シュトラウスが書いた最も美しい瞬間の一つです。
それから30数年の時を経て、第二次世界大戦で祖国の文化(劇場)がすべて破壊されたとき、80歳のシュトラウスは23台の弦楽器のための『メタモルフォーゼン(変容)』を書きました。これは彼にとっての悲歌であり、曲の最後にはベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』の葬送行進曲のフレーズが意味深に引用されます。吉田秀和氏はこの曲を、「シュトラウスがその生涯で到達した最も厳粛で深い精神の告白」として激賞しました。
そして、その悲しみを乗り越えた先にあるのが、『4つの最後の歌』です。ここでは『ばらの騎士』が持っていた優美さと、『変容』の深遠さが完璧に融合しています。
他の作曲家との関係を見てみましょう。リヒャルト・シュトラウスは20世紀前半の激動の時代にあって、ストラヴィンスキーやシェーンベルクが推し進めた「無調音楽」や「新古典主義」といった最先端の過激な作風からは距離を置き、19世紀的なロマン派の語法を生涯守り続けました。その意味で、世間からは「保守的」「時代遅れ」と評されることもありました。
しかし、鳴り響く音の肌触りや、そこに漂う空気感に目を向けると、ワーグナー、マーラー、そして初期のシェーンベルクと同じ一本の太い伏流(世紀末の空気)が確かに流れています。彼らが共有しているその「共通の雰囲気」の正体について、いくつか興味深いポイントを整理してみましょう。
シュトラウスの音楽のDNAには、ワーグナー(1813–1883)の響きが深く刻み込まれています。青年時代のシュトラウスはワーグナーに心酔し、その「楽劇」のシステムや、どこまでも途切れずに感情を高ぶらせていく「無限旋律」の手法を吸収しました。『4つの最後の歌』や『ばらの騎士』の甘美で官能的なソプラノの旋律、そしてオーケストラが一体となって感情の沸点へと向かうドラマチックな高揚感は、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』などが到達した「エロティシズムと救済」の雰囲気に直結しています。
同時代の友人であり、良きライバルでもあったグスタフ・マーラー(1860–1911)との共通性はさらに顕著です。19世紀末から20世紀初頭のウィーンやミュンヘンには、一つの時代(ヨーロッパの古き良き純血主義や絶対王政の文化)が終わりを迎えるという、独特の「世紀末の退廃と黄昏の空気」が満ちていました。マーラーは、その崩壊していく世界の危機感や肥大化した自己の苦悩を、交響曲という巨大な宇宙にぶつけました。シュトラウスは、より客観的で優美な職人技を用いましたが、精神の根底にある「過ぎ去りし良き時代へのノスタルジーと、終わりゆくものへの愛惜」はマーラーと完全に響き合っています。『4つの最後の歌』に漂う、息をのむほど美しいのに、どこか「これが最後だ」と知っているような物悲しさは、マーラーの『大地の歌』や交響曲第9番の終楽章が持つ「生への未練と告別」の雰囲気と完全に同質のものです。
「保守的」とされるシュトラウスですが、実はキャリアの中期(40代前半)において、無調音楽の祖であるシェーンベルク(1874–1951)のすぐ隣まで肉薄した瞬間がありました。それが、オペラ『サロメ』(1905年)と『エレクトラ』(1908年)です。ここでは、人間の狂気やドロドロとした欲望を描くために、従来の美しい和音を破壊し、不協和音を極限まで積み重ねた、すさまじく前衛的な音楽を書いています。当時、若きシェーンベルクはシュトラウスの『サロメ』を聴いて大きな衝撃を受け、その表現主義的な手法に深くインスピレーションを得たとされています。シュトラウスは『エレクトラ』で不協和音の限界(無調の崖っぷち)まで達したとき、「これ以上進むと音楽が崩壊する」と直感し、あえて一歩引き返して、あの優美で伝統的な『ばらの騎士』を書きました。一方、シェーンベルクはその崖から一歩踏み出し、完全に調性を捨て去る道(十二音技法)へと進みました。袂は分かちましたが、「19世紀的な美しい音楽の限界を突破しようとした」という出発点の危機意識は、二人とも全く同じだったのです。
こうして見ると、シュトラウスが選んだ道は形式的には「保守」だったかもしれませんが、彼が表現しようとした精神の深みや、オーケストラを極限まで巨大化させて人間の心理を描き出そうとする過剰なエネルギーは、ワーグナーからマーラー、シェーンベルクへと至る「後期ロマン派から近代への激動のドラマ」そのものです。
クラシック音楽における「死」をテーマにした作品(レクイエムなど)の多くは、神への祈りや、最後の審判への恐れ、あるいは激しい悲しみを描くことが一般的です。しかし、この『4つの最後の歌』には、おどろおどろしい恐怖や、引き裂かれるような絶望はありません。そこにあるのは、「十分に、美しく生きた」という深い充足感と、夕日が沈むのを見届けるような、穏やかな諦念です。
激動の時代を生き抜き、最愛の妻とともに人生の終わりを迎える準備をしていたシュトラウスだからこそ到達できた、絶対的な平穏がここにあります。大切な人を想い、その人生に感謝を捧げ、遺された者たちの心をそっと慰めてくれる――これほど追悼の場にふさわしい、温かい音楽は他にありません。