心理学者の岸田秀が死去した。92歳だった。岸田秀と言えば、『ものぐさ精神分析』(1977年)である。私は大学に入学した年(1978年)にこの本を読んで、大変な衝撃を受けた。

この本が世に出るきっかけとなったのは、一本の書き下ろし論文「精神分析の基礎」である。当時、岸田は和光大学に所属していたが、まだ自身の独自の思想を公に発表したことはなく、思想界ではまったくの無名存在であった。自身が長年苦しんできた重度の神経症をフロイトの理論で「自己治療」し、そこから紡ぎ出した独自の精神分析論を原稿用紙にまとめ、『現代思想』(青土社)編集部に自ら持ち込んだのがすべての始まりであった。当時の編集長がその原稿を読み、その圧倒的なオリジナリティと緻密な論理に驚愕して、1975年の増刊号に一挙掲載することを決めた。これが、思想家・岸田秀が世に発見された決定的な瞬間である。

岸田秀が提示した「唯幻論」は、当時の知的な風景を文字通り一変させた。人間を「本能が壊れた動物」と定義し、社会や国家、宗教、道徳、さらには「自己」さえも、その不適応を埋めるために作り出された「共同の幻想」であると見切る視点は、当時の若者に強烈な解放感と冷徹な自己認識を迫った。また、黒船来航によって日本が受けたトラウマと、それによって生じた「誇大自己(軍国主義)」と「被害自己(敗戦後の従属)」の分裂という国家論は、1970年代後半の政治の季節が終わり、消費社会へと移行していく転換期の精神史において、丸山眞男的な近代主義とも、当時台頭しつつあったニュー・アカデミズムとも異なる、独自の孤高なポジションを築いたと言える。

岸田は1960年代にフランスのストラスブール大学大学院へ留学しているが、この時期はフランス国内でラカン流の構造主義的精神分析が大きなうねりを見せていた時代であった。ラカンは、乳児が鏡に映った自分の姿を見て、バラバラな身体を「一つの自己」として誤認することから自我が始まると言った。岸田の「自己は最初の幻想から始まる」というアプローチは、このラカン的な地平と地続きである。人間が社会や国家といった「幻想」を維持するのは、ラカンでいう「言葉の秩序(象徴界)」に参入するからに他ならない。

岸田の「本能が壊れた動物としての人間」という人間観の、生物学的な土台になっているのが、スイスの動物学者・生物学者であるアドルフ・ポルトマン(Adolf Portmann)の思想である。ポルトマンは、人間の誕生時における発育状態を他の哺乳類と比較し、人間は「生理的早産」の状態で生まれてくると提唱した。離巣性の動物(シカや馬など)は、生まれて数時間で立ち上がり、親について走ることができる。これは本能のプログラムが完成した状態で生まれてくるからである。また、留巣性の動物(ネズミや鳥など)は、未熟な状態で生まれるが、巣の中で急速に成長し、やはり種固有の本能(プログラム)に従って生きていく。

しかし人間は、本来なら母胎の中で1年近く(計21ヶ月ほど)かけて育つべきところを、脳が巨大化しすぎたために、まだ自立できない未熟な状態のまま生まれてこざるを得ない。ポルトマンはこの生後1年間を「子宮外の胎児期(社会的子宮)」と呼び、人間は本能的なプログラムが未完成な、いわば「本能の壊れた動物」として世界に投げ出されるのだと指摘した。そして、壊れたた本能の「代用品」こそが、人間が頭の中で作り出す「幻想」なのだ。

岸田は、ポルトマンとともにオランダの解剖学者ローデウェイク・ボルク(Lodewijk Bolk)も挙げていた。ボルクは解剖学者としての視点から、人間の身体特徴が、他の霊長類(チンパンジーなど)の「胎児(赤ん坊)」の状態のまま固定されていることに気づいた。(「胎児化説(Retardation Theory)」)サルの胎児には毛がなく、人間のように顔が平たく、大後頭孔が真下にある。サルは成長すると顔が突き出てくるが、人間は「子サルの形」のまま大人になる。しかも人間は性成熟や身体の成長スピードが、他の動物に比べて異常なほど「引き延ばされて」遅い。ボルクはこれを「人間はチンパンジーの胎児がそのまま性的に成熟したような存在である」とし、「胎児化(ネオテニー)」と呼んだ。ポルトマンの「生理的早産」が、人間は未熟なまますぐに生まれてきてしまう(時間的なズレ)なのに対し、ボルクの「胎児化(ネオテニー)」は、人間の身体は大人になっても胎児(未完成)のままである(形態的なズレ)と言える。

ところで、岸田秀と吉本隆明は二人とも「共同幻想」という用語を用いている。しかし二人は、同じ言葉を使いながらもそのアプローチはまったく異なっていた。二人の最も大きな違いは、「幻想の前に、何があるか」というスタートラインの差である。思想の出自は、吉本がマルクス主義の超克・文学・思想的営為であったのに対し、岸田は精神分析・生物学であった。吉本は「共同幻想」の対極に「自己幻想(個人の本質)」があるとしたのに対し、岸田は「自己(自我)」さえも最初の幻想である。」とした。そのアプローチは、吉本が国家や法(共同幻想)が、個人の生(自己幻想)をいかに侵害・抑圧するかを告発し、その関係性を解体しようとするのに対し、岸田は、人間は本能が壊れた「ネオテニー」なので、自己も国家もすべて「生き延びるための防衛的な錯覚」だと見切る。吉本にとって共同幻想(国家)は「自己幻想を脅かす対決すべき巨悪」というニュアンスが強いのに対し、岸田にとっては「それがないと人類が絶滅してしまう、痛々しくも不可避な修正プログラム」であった。

全く異なる山を登っていた二人ではあるが、いくつかの共通点もある。一つ目は、「国家や社会は実在しない(フィクションである)」という結論の一致である。二人は、マルクス主義的な唯物史観とも、近代主義的な国家論とも異なる地平で、「社会をフィクションとして解剖する」という共通の武器を持っていたのである。二つ目は、二人の「私小説的」な強烈な批評性である。吉本は敗戦という巨大な「共同幻想の崩壊」のトラウマから出発し、岸田は自身の深刻な神経症と母親との葛藤から出発した。この「個人的な地獄を潜り抜けて、国家や人類を語る」というスタンスの純度の高さが、お互いへの深い信頼を生んでいた。

一方、岸田は、小此木啓吾をはじめとする、当時の日本の精神分析界の「本流」やアカデミズムの主流派からは、長らく「完全に無視されるか、あるいは異端の不届き者として白眼視される」という扱いを受けていた。その理由の一つ目は、小此木たちが、「臨床・治療の体系」として精神分析を捉えていたのに対し、岸田は、は精神分析を医療ではなく、「人間や国家、歴史のまやかしを暴くための強力な『批評の武器(思想)』」として使ったことにある。二つ目は、フロイトが晩年に提唱した「死の本能」の捉え方にあった。小此木は、死の本能を文字通りには受け取らず、臨床的に扱いやすい「攻撃性」や「母子関係の葛藤」へとマイルドに翻訳して日本の土壌に適応させようとした。一方、岸田は、フロイトの「死の本能」を徹底的に過激に突き詰め、「人間は生きていること自体が不自然な、死に損ないの動物である」とした。三つ目は、岸田が「自己も幻想」と言い切る点にあった。小此木は、過保護な現代社会で傷つき、自我を確立できない若者たちを「モラトリアム人間」と名付け、どうにか健康な自我を育てようとした。しかし、岸田はその横から「いや、健康な自我なんてものは最初から存在しない。自我それ自体が脳の防衛反応が作った最初の『幻想』だ」と言い放ったのである。

岸田の「アメリカ論」の射程の長さ、そしてその恐ろしいほどの有効性は、まさに現在(2026年)の激動する世界情勢や、緊迫が続く中東情勢を目の当たりにするにつけ、深く刺さる。岸田は国家を一つの「巨大な分裂病質の精神」として分析した。岸田が提示した「アメリカという病理」の構造の核心は、彼が喝破した「アメリカの自己欺瞞のシステム」にある。岸田の分析によれば、アメリカという国家は、ヨーロッパの既成社会に居場所をなくしたピューリタンたちが、先住民を虐殺・排除して建国したという「原罪(トラウマ)」を抱えて出発している。生身の人間(あるいは通常の国家)であれば、その罪の意識や泥臭いエゴを抱えて生きていくわけだが、アメリカという精神はそれを認められない。自分たちの国は「神に祝福された、人類史上最も正しく清らかな理想郷」でなければならないという、強烈な「誇大自己」を必要としたのである。
「私たちは常に正しい。なぜなら神の正義を体現しているからだ」
「私たちが戦うのはエゴ(国益)のためではなく、民主主義と自由という『人類普遍の正義』のためである」
この強迫的なまでの正義の自己イメージが、アメリカという国家のいわばOSになっていると岸田は見抜いた。

しかし、現実の国際政治の中で、アメリカも当然のように自国の利益のために他国を侵略したり、謀略を行ったりする。その際、この「絶対的正義」に矛盾・認知不協和が生じる。ここで発動するのが、精神分析でいう「投影」のメカニズムである。「私たちが暴力を行使するのは、私たちの心に悪があるからではない。世界の向こう側に、私たちの正義を脅かす『絶対的な悪』が存在するからだ。私たちは世界を救うために、その悪を退治せねばならない」アメリカが戦争を始める時、相手は単なる「利害の対立する国」ではなく、常に「悪の帝国(ソ連)」であり、「悪の枢軸(イラク・イランなど)」でなければならないのである。相手を怪物(絶対悪)に仕立て上げることで初めて、アメリカは自らの狂暴性を「正義の鉄槌」として正当化し、心の平穏(自己欺瞞)を保つことができるのだ。

アメリカに対しては冷徹極まる解剖医のような視線を向ける岸田が、こと「明治維新から第二次世界大戦、そして敗戦に至る日本」を語るときには、まるで自分自身の引き裂かれた肉体を凝視しているかのような、異常なまでの熱量と感情移入を見せる。それは彼にとって、「近代日本の悲劇」と「自分自身の精神病理(神経症)」が、完全に一対一で重なり合う同一のものだったからである。

岸田の解釈では、近代日本という精神は、1853年のペリー来航(黒船)によって「暴力的に自己の領域を侵犯され、拒否権を奪われた(強姦された)」という巨大なトラウマから出発している。この時、日本という自己は恐怖のあまり二つに分裂した、と岸田は言う。
「被害自己」:欧米の圧倒的な力に怯え、従属するしかない惨めな自分。
「誇大自己」:その惨めさに耐えかねて、「神の国である日本はアジアのリーダーであり、西欧列強に立ち向かう絶対的正義である」と思い込む、肥大化した妄想の自分。

岸田が第二次世界大戦に異常なほど感情移入するのは、あの戦争が、この「誇大自己」の妄想が限界まで膨れ上がり、破滅へと突き進んでいった、哀しくも必然的な暴走だったと捉えていたからである。そして1945年の敗戦によって、誇大自己は粉々に打ち砕かれる。日本は再びアメリカという「去勢者(圧倒的な親)」の前にひれ伏し、アメリカの価値観(民主主義・平和主義)をあたかも自発的なものであるかのように偽装して生きる道を選んだ。(これが岸田氏の言う「偽自我」としての戦後日本である)。

なぜそこまで国家の運命に同調できたのかと言えば、岸田自身の生い立ちが、まさにこの「近代日本の縮図」そのものだったからである。岸田は、幼児期に厳格で支配的な母親(および養母)から精神的な侵犯を受け、強烈な対人恐怖症と自己の分裂に苦しんだ。「親の顔色を伺って作られた偽物の自分」と「内側でドロドロに渦巻く狂気や攻撃性」。彼は自らの地獄のような神経症を治すためにフロイトを読み、自己分析を重ねる中で気づいたのである。「俺のこの引き裂かれた精神は、ペリーに強姦されて以来、アメリカの顔色を伺い続けて狂っていった日本という国家の精神と、寸分違わず同じではないか」と。

確かに岸田の思想に借り物ではない迫力があったが、率直に言って、その後は進展はなく、同じことの繰り返しになってしまった面は否めない。なぜ岸田の思想は「同じことの繰り返し」のループに入ってしまったのであろうか。一つには、岸田の「唯幻論」は、最初から驚くほど隙のない一つの完璧な「円環(システム)」として完成していたからだと言える。岸田のロジックがあまりにも美しく、かつ万能だったために、どんな新しい現実や社会現象が起きても、すべて「唯幻論」という既存の網の目で100%説明できてしまったのである。二つ目は、「自己治療」が完了したことによる野生の喪失がある。岸田にとって思想を語ることは、自らの命綱であった。重度の対人恐怖症にのたうち回り、自己崩壊の危機に瀕していたからこそ、あの呪詛と救済が入り混じったような凄まじい筆致が生まれたわけである。狂気から脱出するために必死に掘り進めていたトンネルが、外の世界に開通して安全な通り道になった瞬間、それ以上深く掘り進める必要がなくなってしまったわけである。

思想史的に見れば、後半生の「反復と停滞」は確かに事実である。しかし、だからといって彼が1970年代後半に放ったあの一撃の輝きが曇るわけではない。あの時代に彼が果たした「知的な共犯者」としての役割の大きさは、やはり日本の精神史において不滅の足跡だったのだと思う。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です