現在、『道徳の系譜学』を連載中ですので、ごく初歩的な疑問「ニーチェの「系譜学(Genealogy)」と、「歴史学(History)」は何が違うのか?」についてまとめておきます。

ニーチェの「系譜学」と、一般的な「歴史学」は、どちらも過去を遡って調べるという点では似ていますが、その目的とアプローチが根本的に異なります。

一言で言えば、歴史学が「過去に何が起きたか(事実)を客観的に明らかにしようとする」のに対し、ニーチェの系譜学は「今私たちが『絶対に正しい』と信じている価値(道徳や理性など)が、いかに不純で偶然なプロセスから生まれたかを暴き、その価値を解体する」ためにあります。

まず、両者の「起源に対する視点」の違いから検討していきましょう。

「歴史学」は、ある制度や思想の「正しい始まり」を探そうとします。往々にして、その始まりを高尚なものとして扱ったり、現在に至る見事な伏線のように描きがちです。一方「系譜学」は、物事の始まりを神聖視しません。例えば、私たちが素晴らしいと思っている「道徳(善悪の価値観)」のルーツを遡り、それは高尚な愛や理性から生まれたのではなく、「弱者が強者に対して抱いた嫉妬や怨恨」というドロドロした感情から生まれたのだと暴露します。

「歴史の流れの捉え方」も両者で異なります。「歴史学」は、原因があって結果があり、現在へと繋がっていく「一本の連続性」として歴史を捉えがちです。一方「系譜学」は、歴史を「不連続性」と捉えます。ある時代に作られた仕組みや言葉が、別の時代に「全く違う意図を持った権力者」によって都合よく解釈し直され、上書きされてきた結果が「現在」であると考えるのです。そこに必然的な進歩はありません。

「客観性に対するスタンス」についてはどうでしょうか。「歴史学」は、研究者の主観を排し、中立的なデータを積み重ねて「真実」に近づこうとします。一方「系譜学」は、「あらゆる認識は特定の視点から行われるという『遠近法主義』の立場に立ちます。系譜学は、最初から「現代の常識を疑う」という明確な批判的意図を持って歴史に切り込む、アグレッシブな武器なのです。

ちなみに、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、ニーチェから「系譜学」という言葉や、歴史の連続性を疑う姿勢を色濃く受け継いでいますが、その具体的なアプローチや分析の対象、そして何より「何と戦うためにそれを使うか」という点において、二人の間には決定的な違いがあります。

ニーチェの関心はどこまでも「人間の心理(生のタイプ)」にありました。道徳の起源を「弱者の怨恨」や「強者の高貴さ」という、人間の情念や心理的な力学から説明しようとします。系譜学はいわば、価値を生み出す「人間の精神のドラマ」を暴くものでした。一方、フーコーは、そうした「人間の内面」そのものが、実は社会のシステムによって事後的に作り出されたものだと考えました。だからフーコーの系譜学(例えば『監獄の誕生』など)が分析するのは、個人の心理ではなく、「ディスクール(社会の中で流通する言葉・言説の体系)」「法律」「パノプティコン」「毎日のタイムスケジュール」といった、社会の具体的な制度や実践のネットワークです。

「主体」に対するスタンスも異なります。ニーチェは、既存の価値観を解体した後に、そこから脱出して自らの価値を創造する「超人」や「強者」という能動的な主体の可能性を残していました。一方、フーコーの立場はより徹底しています。権力はどこか一箇所から人々に押し付けられているのではなく、社会のあらゆる関係性(網の目)に張り巡らされており、「抵抗する主体」そのものも、その権力のネットワークの中で形作られてしまうと考えました。「狂人」や「非行少年」という主体は、隔離や監禁のシステム(権力=知)があって初めてその枠組みの中に誕生する、という捉え方です。

歴史の区分については、フーコーには独自のステップがありました。初期フーコーが使った手法が考古学(『狂気の歴史』『言葉と物』など)、中期以降に前面に出てきたのが系譜学(『監獄の誕生』以降)」です。彼は歴史を「エピステーメー(ある時代に共通する、思考の無意識の枠組み)」という地層として捉え、ある時代から次の時代へ、その地層がガラリと変わる「不連続性」を強調しました。

ニーチェが流動的な「力の意志」の絶え間ない乗っ取り合い(グラデーションのある闘争)として歴史を見たのに対し、フーコーは「ある時代特有のシステムの、ある日突然の構造転換」という、よりドライでシステム論的な手法を組み込んでいます。

フーコーの手法の変遷は、系譜学の継承を示す論考「ニーチェ・系譜学・歴史」などでも読むことができますが、どの作品(『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など)を念頭に置くかによっても、また見え方が変わってくるところです。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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