

一昨年までの数年間は(コロナの時期を除いて)一人でヨーロッパを旅していた。なぜ一人旅かというと、私たち夫婦は海外旅行で知り合い30年前くらいまで二人でよく海外によく行っていたのだが、ある日配偶者に「もう飛行機乗るのめんどうくさいから、行きたければ一人で行って」と言われたからである。あと、当時僕は中世ロマネスク建築にはまっていて、修道院やロマネスク教会を見ないでは死ねないと思っていたからでもある。
しかし、最近のヨーロッパの異常な暑さと、これまた異常な円安が重なって、だんだんと計画を立てるのに気が重くなってきた。それに、正直言ってヨーロッパに慣れすぎてしまって、何を観ても既視感があり、さらには、一人旅だと気を付けなければいけないことも多く(僕はツアーは利用しない)、「失敗なく旅行すること」が旅行の主要目的みたいになってきて、なんか「旅の愉しさ」が失われてきたのである。
一方コロナで旅行に行けない時期に哲学書を買い集めたのだが、収束してもなぜか「哲学」に関する興味は増大し続けた。最初は倫理学、特にメタ倫理学やバーナード・ウィリアムズ、トマス・ネーゲルといった人に興味があったのだが、最近になってこれもなぜだか分からないのだが、大学時代にやっていた「フランス現代思想」(ドゥルーズがメインだが、フーコーやデリダも)に回帰しつつある。(現代といっても1960年~80年代くらいの著作中心だが。)
そんなある日、Xで東大の鈴木泉教授が早稲田エクステンション・センター(中野)で全6回の『差異と反復』講義をやると投稿された。カルチャー・センターなどで有名な名誉教授が哲学の講座を担当することはあるが、現役の東大教授にして現在刊行中の『スピノザ全集』の編集責任者である鈴木先生の講義が受けられるとは、めったにない機会である。
初回は法事で出られなかったものの、残りの5回は猛暑かつ体調不良(風邪をこじらしていた)にもかかわらず、出席した。オンライン全盛の時代であるが、暑い中わざわざ電車を乗り継いで出かけていくことの価値について考えさせられた。しかも単位が出るわけでもなければ、金儲けになるわけでもない、世間のほとんどの人が関心のない『差異と反復』に30人くらいの人(中高年も多い)が集まってくるのである。
ところで、今回、重宝したのがAIである。90分の講義のあと、ノートに書き留めたものを毎回Claude Fable5に質問して解説してもらうのだが、今回の最終回でも解説はA4で25枚くらいの分量になり、とてもこのサイトでまとめて紹介できない密度なのである。もちろんAIを妄信することはできないとしても、何か次にやることに向けて闘志が湧いてくるという感じなのだ。(今日は「後期ライプニッツを読まなけりゃ」と思った。)負け惜しみではなく、海外に行っているときよりも気分はアグレッシブになっている。(海外もまた行くけどね。)