早稲田大学の御子柴善之先生や京都大学の高木 裕貴先生のような優秀な方ですと、高校時代からカントの『純粋理性批判』を熟読して、それを学びたいがために大学へ入学されたりするわけですが、残念ながら自分にはそういうことはありませんでした。
私の場合は、幼少期からあれこれ感じてきたこと、考えてきたことが、後から考えると〈哲学や倫理の周りをぐるぐると巡る問題〉であると気づいたという感じです。
言い換えますと、哲学的・倫理的な疑問に直面しながらも、それが意識の上で顕在化することなく、何となくそのままやり過ごして生きてきたというわけです。
それでも大学時代は「フランス現代思想」なるものに取り組んでみたりはしたのですが、どうもそれは時代におもねったファッションのようなものでしかありませんでした。
つまり哲学的・倫理的な課題が自分のことではなく、単なる「知識の集合体」でしかなかったのです。
そういうわけで、自分の中では「フランス現代思想」はくだらない表層的なものだとして葬られてしまったわけですが(ちなみに今現在そう考えているわけではありません)、
それでも何か「本質的なものを探り当てたい」「確固としたものをつかみたい」という抑えきれない感情が不定期に自分の中で沸き起こってきたのでした。(次回に続く。)