前回挙げた道徳判断の例を再掲します(原著からの引用です)。
(1) Polygamy is morally dubious.
(2) Oedipus’ sleeping with Jocasta was morally bad.
代表的な3つの道徳的態度は、上記の例をどのように判断するでしょうか。
1つ目はObjectivism(「客観主義」)です。
The basic idea in objectivism is that our moral opinions are the sorts of things that can be true or false, and what makes them true or false are facts that are generally independent of who we are or what cultural groups we belong to – they are objective moral facts.
この考え方においては、私たちの道徳的判断は(科学的判断と同様に)真偽のいずれかと言えるものであり、その真偽は私たちが誰であるか、どの文化グループに属しているかとは無関係な客観性・独立性を持ちます。
*「科学的判断と同様に」と書きましたが、科学的なempirical observationが本当に完全な客観性を保証すると言えるかは、難しい問題です(『相対性理論』参照。いやあまり詳しくないですが。)今はこの問題は保留します。
(1)(2)の例で言えば、Objectivismでは、「どんな文化においても多重婚は許される(または許されない)」であり、「インセスト・タブー(「近親相姦」incest Taboo)は相手が母であることを知る知らぬに関係なく許容される(または許容されない)」のです。
2つ目はRelativism(「相対主義」)です。
相対主義にも様々な形態がありますが、基本的には
…our moral judgments…..are indeed the sorts of things that can be true or false.
道徳的判断が真あるいは偽であると言えるという点で、この立場は客観主義と同じです。
ところが以下の点で客観主義と相対主義は異なります。
…the relativist argues that moral judgments are true or false only relative to something that can vary between people.
最初の例で言えば、多重婚を許容する文化に属するか否かで、道徳判断は分かれます。あるいはもっと細かく分類しますと、ある文化圏が「一夫多妻制(イスラム圏、アフリカの一部)」、「一妻多夫制(インド・チベット・スリランカ等)」いずれかを許容するかによって道徳的判断は異なります。
二番目の例に関しては、オイディプスのように自分の性的対象が近親であることを知らない場合には許容されると考える人もあれば、ゾロアスター教のように近親相姦を最高の美徳と考える文化もあります。また「近親性関係」と「近親婚」を分けて考える場合もありますが、いずれにしても道徳的な判断は所属文化によります。
相対主義の究極形態は「主観主義」です。
One extreme form of relativism is subjectivism. This is the view that our moral opinions are relativized to each of our own subjective attitudes.
However, this extreme form of relativism has a really hard time explaining the possibility of genuine moral disagreement. ……, when it comes to polygamy, those who disagree are not usually prepared to chalk up their disagreement to a mere difference in taste.
道徳的判断が一人一人の主観によるものだとするならば、もはや「道徳性」を論じることができないように思えます。しかし、道徳的判断を単なる〈趣味の違い〉と考えることははたして正当なことなのでしょうか。
ここでは「相対主義」を「文化相対主義」に限定して議論していきたいと思います。「文化相対主義」は人類学で確立された概念ですが、「相対主義」はプラトンの時代まで遡る哲学的議論があるようです。もう少し勉強して詳しくなりましたら、再度取り上げてみようと思っています。