アメリカ大統領選挙も目前ですね。

そこで今回は、9月に刊行された岩波新書『フェイクニュースを哲学する』を素材に、いろいろ考えてみたいと思います。

全5回程度で、この本の章立てに沿って紹介していきます(今回は〈まえがき〉と〈序章〉を扱います)。

Amazon等の読書レビューとは異なり、時には著者に反論するなど、私の主観を交えてコメントしていきます。(引用部分とコメントを区別するために、私のコメント部分のみ*を付けて「です・ます」調で書くこととします。)

細かい議論を紹介することは、著作権に係る問題ですのでご自身で書籍を購入してくださるようにお願いします。

〈まえがき〉
何を信じるべきかは、哲学の分野では認識論と呼ばれる。
本書では特に社会認識論の観点から、私は何を人じるべきかという問いの回答が試みられる。

*「認識論(Epistemology)」とは「認識、知識や真理の性質・起源・人が理解できる限界などについて考察する、哲学の一部門」です。詳しくは『知識とは何だろうか』(ダンカン・プリチャード)等をご参照ください(この本はいずれこのサイトでも精読する予定です)。
*「社会認識論」とは、認識論の中でも「自分の知らないことを他人から教えてもらう」というような、社会的側面に焦点を当てた認識論です。
*認識論と言うとデカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」を連想しますが、デカルトの時代にはインターネットは存在しませんでした。本書ではネット時代の認識論、特にフェイクニュースについて考察します。

〈序章〉
まず、フェイクニュースの定義について検討されます。

フェイクニュースとは「伝えられた内容が偽であり、かつ欺くことを目的としている。」という定義では狭すぎる。
ここではひとまず、「フェイクニュースは情報内容の真実性が欠如しており、かつ情報発信の正直さの意図が欠如している」と定義する。しかしながら、フェイクニュースの定義については現在も論争中である。

*本書では「フェイクニュースにも正しいものがある」というように、定義がぐらぐらしているように思います。

次に、フェイクニュースはなぜ問題なのかについて検討されます。

1つ目、フェイクニュースは実際の被害をもたらす。ネットで誤った結論が拡散するから。
2つ目、知的権威への信頼が失墜するから。
3つ目、民主的な社会における意思決定の正当性が損なわれるから。
4つ目、 人々が真理への関心を失っていくから。

*2つ目と4つ目はけっこう近い概念のような気がします。それにしても、とうの昔に知的権威は失墜して、人々は真理などにこれっぽっちも関心がないように思えますが。。。

この章の最後で、そもそも「真理の価値とは何か、そもそもなぜ真偽に関心を持たなければならないのか?」という根本的問題が問われます。

* 「真理」と「真偽」は同じではないと思います。「真か偽か」という命題のかたちをとらない〈真理〉もあると思います。フェイクニュースに関する考察では、「ある事実が真であるか偽であるか」と問う方が(「真理であるか」と問うよりも)良いように思えますが(違うのかな??)。

真理は道具的価値だけではなく、内在的価値を持つか。

結論:真理を気にかけるという態度は、「人としてよく生きることの本質的な一部をなしている徳」であると結論される。

*「道具的価値」とはそれ自身に価値がなくても、結果として価値がもたらされるようなものを指します。たとえばお金はそれ自身何の価値もないですが、何かを実際に買うことで価値が発生するので、「道具的価値」を持ちます。

*「内在的価値」はその逆で、それ自身で価値を持つものです。〈健康〉や〈友情〉などがそれにあたります。

*結論部に関しては異論はありませんが、フェイクニュースをこの世から完全に消し去って、すべて正しく事実を報道したからと言って、それは「真理の追求」にはならないのではないでしょうか。人々は正しい事実を知ったとしても、それに無関心でいることは可能だからです。

たとえばガザ地区で行われていることが、1%の偽りもなく報道されたとします(そのようなことはありあえませんが)。これは「真偽」ということで言えば、「真」でありますが、人々(ニュースの受信者)はこの事実に無関心でいることもありえる。これは「真理を気にかける」態度ではありません。

逆にニュースの発信者という視点で考えますと、あるニュースが事実として正しい場合に、発信者に「真実を伝えたい」という意思があるかないかによって、ニュースの「真理性」は異なります。

仮に発信者にそういう意思がなくても、ニュースが事実として正しければ、少なくともフェイクニュースとは呼ばれません。ここは、ニュースを発信する側と受信する側に分けて、細かい議論が必要とされるところだと思います。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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