『旅と倫理』と題して何か書こうと思っておりましたが大したアイデアは浮かばず、先日の青森旅行(あるいはそこから連想されるもの)について書くことにいたしました。

しかしそもそも旅の「目的地」とは何でしょうか。

Cambridge Dictionaryで検索しますと、
Destination=the place where someone is going or where something is being sent or taken
とあります。

この現在進行形は「今現在進行している」というより、「そこへ向かっている」というイメージです。「目的地」とはその名が指し示すように、その場所に到達することが「目的」であり、その目的地で何かを観光したり、名物料理を食べたりする場所なのです。

一方で、心の中では目的地がない旅にも憧れます(よく夢で見ます)。

journeyをCambridgeで検索すると、
Journey=the act of travelling from one place to another, especially in a vehicle
とあります。

…especially in a vehicleというと、ヴェンダースの『都会のアリス』『さすらい』『パリテキサス』のようなロードムービーを連想します。あてどもなく車を運転していて、あたりにとばりが降りる頃、そこが何処かもわからないような土地のモーテルに泊まるのです。

Journeyにはもう一つ意味があります。
Journey=a set of experiences that someone has over a period of time, especially when they change the person in some way

changeという点が重要ですね。旅は人を変容させるのです。人生における経験が人を変容させるのと同様に。旅は人生の比喩でありえますし、人生は旅の比喩でもありえます。

こうした旅行ができるのには、いくつか条件があります。

1.一人旅であり、あらゆる人間関係から自由であること。
2.社会的責任に縛られておらず、時間的にも制約がないこと。
3.人生の目的が定まっておらず、どう生きていくか迷っていること。

しかし現実は60過ぎの人間が路頭に迷うわけにもいかず、〈五能線の旅〉という「目的地のない旅」を旅して「目的のない旅」を模倣したというわけです。

さて青森といえば、演歌で歌われた「青函連絡船」(一度だけ夜行で乗りました)、恐山という、どちらかという〈暗い〉〈寂しい〉イメージがありますが(『津軽じょんがら節』という映画もありました)、私にとっては太宰治や寺山修司を生んだ土地でもあります。

太宰に関しては、中学校の時にほとんど読み尽くして、それ以来まったく読んでおりません。彼の人生観や哲学に共鳴したことはありませんが、彼は(『桜桃』にしても『斜陽』にしても)圧倒的に文章が上手だと思います。自分はどこかで彼の文体の影響を受けているような気がします。

寺山に関しては、大学時代に『書を捨てよ町に出よう』『田園に死す』などのATG映画を高田馬場の映画館で見て、ショックを受けました(気分が悪くなったくらいです)。彼の主宰する演劇集団「天井桟敷」の公演を見たのは、彼の死後直後でした。あとは競馬中継のゲストとして出演している姿を見ただけで、彼の本領とも言える短歌にはあまり接しておりません。

りんご畑や海岸線を眺めながら五能線に揺られていると、突然車内で津軽三味線の生演奏が始まりました。その音色は心に突き刺さり、青森に対する過去から現在までの様々なイメージが自分の中で交錯していきました。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です