第2章の簡単な紹介をしていきます。

細かい議論につきましては実際に本書を購入してお読みになってください。

トピックが〈証言〉から、〈うわさ〉に変わります。

本書でうわさは、「多くの人があいだに入って、人から人へ伝達される、真偽がまだ確定していない情報」と定義されます。

「うわさを信じてはいけない」と考えたくなる研究として「オルポートの実験」が有名です。
この実験によれば、うわさは伝達者の認知的歪みにより、情報は不正確になります。

これに対して、「うわさは信じてもよい」というコーディの反論があります。
コーディによれば、実験室と違って日常生活では、以下のような点があります。

1 うわさに関する事前知識を持っている。
2 うわさを伝え合う人間同士の関係性がある程度確立されている。
3 うわさの伝え方が現実では実験と異なる(〈情報の確証度〉を表す語が付け加えられる)。
4 異なる情報源にあたって、うわさの信頼性を確認できる。
5 (伝える側が)うわさを他人に伝えるか、判断保留できる。

*「うわさの真偽をチェックできる」といことは「うわさを一般的に信じてもよい」という結論を導きません。「正しく事実を確認できたうわさなら信じてよい」ならば、もはやそれは「うわさ」ではないと思うのですが。。。

それでは、ネット上のうわさは信じてよいのでしょうか。

1 コミュニケーションの文脈が崩壊しており、前提知識が共有されていない。
2 伝達者の顔が見えない。
3 情報の確証度を示す留保表現は省略される。
4 異なる情報源の元が同じである可能性がある。
5 (伝える側が)情報を伝えるかどうか吟味できない(ワンクリックで済むため)。

*コーディの根拠は、ネット上では成り立たないことが多々あることがわかります。ここで考えたのですが、私たちは「ネットのみ」「日常生活のみ」で情報を得るわけではなく、両方を総合して判断しているのではないでしょうか。この本では少し機械的に分類がなされすぎているように思われます。

ここまでの議論は、うわさの目的は事実を伝えることであることを前提としていました。

しかし、私たちがうわさをやりとりする動機はそれだけではありません。「〈なぜ〉に対して〈わかった〉と思える答えを求めている(納得するため)」、「自分の抱いている感情の正当化」、「多くの人と感情の共有する」ためという動機も考えられます。

*これは言われてみると「なるほど」と思える指摘です。しかしたとえば「わかった」を求めるのなら、なぜ新聞や書籍ではなく、うわさに答えを求めるのでしょうか?ここでの「わかった」は真偽ではなくて、「わかったつもりを楽しむ」のが目的なのでしょうね。

だからと言って、常にうわさを楽しむ自由があるとは限りません。なぜなら偽なるうわさは、特にネットの世界では、次のような危害をみたらす可能性があるからです。

1 うわさの持続時間の長さのため、〈デジタルタトゥー〉と呼ばれるように、被害者を苦しめ続ける。
2 うわさの拡散範囲の予測が不可能で、あらかじめ被害を見通すことが困難である。

その他にもまだ目に見えない様々な問題がありそうだ、というところで第2章が終わります。

第2章の簡単な紹介をしていきます。

細かい議論につきましては実際に本書を購入してお読みになってください。

トピックが〈証言〉から、〈うわさ〉に変わります。

本書でうわさは、「多くの人があいだに入って、人から人へ伝達される、真偽がまだ確定していない情報」と定義されます。

「うわさを信じてはいけない」と考えたくなる研究として「オルポートの実験」が有名です。
この実験によれば、うわさは伝達者の認知的歪みにより、情報は不正確になります。

これに対して、「うわさは信じてもよい」というコーディの反論があります。
コーディによれば、実験室と違って日常生活では、以下のような点があります。

1 うわさに関する事前知識を持っている。
2 うわさを伝え合う人間同士の関係性がある程度確立されている。
3 うわさの伝え方が現実では実験と異なる(〈情報の確証度〉を表す語が付け加えられる)。
4 異なる情報源にあたって、うわさの信頼性を確認できる。
5 (伝える側が)うわさを他人に伝えるか、判断保留できる。

*「うわさの真偽をチェックできる」といことは「うわさを一般的に信じてもよい」という結論を導きません。「正しく事実を確認できたうわさなら信じてよい」ならば、もはやそれは「うわさ」ではないと思うのですが。。。

それでは、ネット上のうわさは信じてよいのでしょうか。

1 コミュニケーションの文脈が崩壊しており、前提知識が共有されていない。
2 伝達者の顔が見えない。
3 情報の確証度を示す留保表現は省略される。
4 異なる情報源の元が同じである可能性がある。
5 (伝える側が)情報を伝えるかどうか吟味できない(ワンクリックで済むため)。

*コーディの根拠は、ネット上では成り立たないことが多々あることがわかります。ここで考えたのですが、私たちは「ネットのみ」「日常生活のみ」で情報を得るわけではなく、両方を総合して判断しているのではないでしょうか。この本では少し機械的に分類がなされすぎているように思われます。

ここまでの議論は、うわさの目的は事実を伝えることであることを前提としていました。

しかし、私たちがうわさをやりとりする動機はそれだけではありません。「〈なぜ〉に対して〈わかった〉と思える答えを求めている(納得するため)」、「自分の抱いている感情の正当化」、「多くの人と感情の共有する」ためという動機も考えられます。

*これは言われてみると「なるほど」と思える指摘です。しかしたとえば「わかった」を求めるのなら、なぜ新聞や書籍ではなく、うわさに答えを求めるのでしょうか?ここでの「わかった」は真偽ではなくて、「わかったつもりを楽しむ」のが目的なのでしょうね。

だからと言って、常にうわさを楽しむ自由があるとは限りません。なぜなら偽なるうわさは、特にネットの世界では、次のような危害をみたらす可能性があるからです。

1 うわさの持続時間の長さのため、〈デジタルタトゥー〉と呼ばれるように、被害者を苦しめ続ける。
2 うわさの拡散範囲の予測が不可能で、あらかじめ被害を見通すことが困難である。

その他にもまだ目に見えない様々な問題がありそうだ、というところで第2章が終わります。

* 前回で指摘したことをもう一度繰り返すことになりますが、本書では〈フェイクニュース〉〈証言〉〈うわさ〉が並列的に論じられており、それらがお互いにどうのような関係性を持つか述べられていません。個々の分析にはなるほどと頷く場面も多いのですが、「それってフェイクニュースとどういう関係があるの?」と考えなければならない場面がたくさんありました。

* 〈うわさ〉はなかなか学問的テーマにならないのではないか、とAmazonを検索してみましたら、以下のような本がヒットしました。関心がある方は手に取られるのもよいかと思います。

うわさ 増補版: もっとも古いメディア (叢書・ウニベルシタス 229)
うわさとは何か – ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書 2263)
流言のメディア史 (岩波新書 新赤版 1764)

* 前回で指摘したことをもう一度繰り返すことになりますが、本書では〈フェイクニュース〉〈証言〉〈うわさ〉が並列的に論じられており、それらがお互いにどうのような関係性を持つか述べられていません。個々の分析にはなるほどと頷く場面も多いのですが、「それってフェイクニュースとどういう関係があるの?」と考えなければならない場面がたくさんありました。

* 〈うわさ〉はなかなか学問的テーマにならないのではないか、とAmazonを検索してみましたら、以下のような本がヒットしました。関心がある方は手に取られるのもよいかと思います。

うわさ 増補版: もっとも古いメディア (叢書・ウニベルシタス 229)
うわさとは何か – ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書 2263)
流言のメディア史 (岩波新書 新赤版 1764)

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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