前回に引き続き、『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた』を参考図書とします。
「リケジョ」はけっこう使われる表現である一方、性差別につながるという考え方もあります。
今回はこの問題について考えてみたいと思います。以前書きましたように、私の主張を展開するのではなく、いろいろな価値観をニュートラルに紹介していこうと思います。「 」内は基本的に上記書籍からの引用です。
「リケジョ」が含意しているものは、まず第1に「理系に進む女子はめずらしい」です。
ここに価値判断は働いていません。本当に珍しいかどうかは、調査をしてみればわかることです。
そして人は珍しいものに名前を付けるものです。その行為自体が非難に値するとは言えません。
ところが「珍しい」が「女性は理系科目が苦手」と意味付けされた瞬間に、「リケジョ」は「ジェンダー・ステレオタイプを強化・再生産する可能性がある」表現となります。まず第1に、女性は理系科目が苦手であるという確固としたエビデンスはありません。
強化と再生産ということについて、大事な視点は「内面化」です。男性が「女性は理系科目が苦手」と決めつけることに加えて、女性も「女性は理系科目が苦手」であると自ら考える(= 内面化する)ことで、挑戦することや努力することを放棄してしまう可能性があります。内面化によって「(女性と理系が苦手であるという)結びつきがさらに強化されていく」のです。
それでは〈「リケジョ」と言う語を絶対使わない方が良いのか〉という最初の問いに戻ってきますが、〈理系に進む女性が少ない中で、頑張っているね〉と励ますときには、そして言われる本人がそれを嫌がっていない場合には、許容してもいいという考え方も存在します。
それでも、そこには差別が含まれていると考える人がいるかもしれません。しかしその論法でいきますと、かなり多くの表現にはジェンダー差別が含まれています。それは長い歴史の積み重ねのうちに言語に蓄積されたものです。それらをすべてはぎ取って性的にニュートラルな表現を目指すことは事実上不可能だと思います。
大切なのは単語や語句のレベルの表現ではなく、その表現が使われる〈文脈〉、あるいは発言する人とされる人の〈関係性〉ではないでしょうか。この〈文脈〉〈関係性〉については、差別一般にかかわる問題でもあります。これにつきましては、また別の本を参照して検討していく予定です。