コロナでもインフルでもなく、熱も無事下がったのに、まだ元気が出ずリハビリ中なので、駄文の続きを(ご容赦!)。

ところでこのサイトの文体なのだが、今までなるべく「です・ます」調で書いてきたのだが、配偶者に言わせると「本来のあなたの文体は、バサっと人を斬るようなドライな文体」なんだそうで、要するに今まで「猫かぶっていた」らしいです。今後はどちらの文体と決めずに、TPOで使い分けていくとします。

昨日は『紅白』のジェンダーフリーの話をしたのだが、実はそれ以外にも単なる〈懐かしい〉だけではなく、いろいろ感じたことがあるので、書き連ねてみよう。駄文なのでダラダラ書いても許されるであろう?

1971年は53年前である。『紅白』の前に、当時の自分と時代背景を紹介しておきたい。昨日、当時中学2年生と書いたが調べたら、実は中1であった(記事は訂正した)。初めて本気で女の子に片思いしたのは中1だったような気がするが、何月頃かさっぱり覚えていない。個人的に数学習っている人から〈囲碁〉を教わり、あまりの面白さに天井を見上げても碁盤に見えるような日々が続いた。昨日『紅白』の録画を観たら、ゲストに石田芳夫が出ていた。彼はその年、史上最年少で〈本因坊〉を獲得し囲碁界を席巻したのであった。囲碁を覚えたばかりの僕は彼がアイドルで(今でいう推し活か)、ファンレターを書いたらなぜか(本人はタイトル戦で忙しいので)お姉さんから写真入りの返事をいただいた思い出がある。

田舎の中1に社会のことなどわかるわけもないが、1968年-1970年の全共闘運動・大学紛争が過ぎ去り、前年にビートルズが解散し、若者の間には虚無感が漂っていた。世の中には〈戦後〉がまだ少し残っており、田中角栄が出てきて、沖縄が日本に返還されるのは翌年である。しかし一方で、マグドナルドが開店し、カップヌードルが発売になり、時代は徐々に開放的に、享楽的になるという微妙な過渡期であった。

さて『紅白』に話を戻そう。まずはくだらない話から。司会者、出演者、踊っている女の子、みんなミニスカートが多い。いや今ミニスカートって死語なのかもしれないが、当時なんで流行っていたのかは知らない。脚を出すことが自由の象徴だったのかな??あとは、まっすぐ立って歌う人が多い。途中の点数集計のアナウンサーはまるで統計値を読み上げる官僚みたいだった。年明けに日本で初めてとなる冬季オリンピックが控えており、選曲や演出にもその影響が見て取れた。

具体的な出演者は僕には懐かしいが、若い人は関心ないと思われる。それでも一人だけ紹介しよう。藤圭子、当時20歳、そう宇多田ヒカルのお母さんである。若いのにものすごい存在感というか、子どもの僕からすると〈暗~い影〉をまとった人で、何がいいんだか正直分からなかった。亡霊みたいだったな(失礼!)。面白いのは、今70代くらいで『紅白』出場何十回目の超ベテランも、1971年には初出場だったりして、緊張して司会者に手を握られてステージ中央まで連れてこられたりしていたことだ。誰にでもそんな時代はあるものなのだ。

僕はものすごく意地悪な人間なので、昨日録画を視聴しながら、歌手たちの〈その後の人生〉を検索していた。
司会者はけっこう有名な人だったが、ずっと昔に亡くなっており、その他にも意外に早死にしている人がいるかと思えば、いまだに生きている人もいたり、例の〈ジャンボ機墜落〉で亡くなる歌手もあり、人生の長さは誰にも分からない。
全体的に女性の方がやはり長生きではあるが、細かく死因を分析していくと、やはり生存率の高いがんに罹患した人の方が生き残っているようだ。寿命や病気だけでなく、違う仕事をしている人がいたり、配偶者を次々に変える人もいる。今は芸能人とかアイドルに何の思い入れもないが、ある種の感慨はある。

53年とは恐ろしい年月なのだ。舞台に立っているかなりの人間がもうこの世に存在しない。今の世の中で推し活だなんだいっても、50年後は今のアイドルも半分くらいはいなくなっているであろう。人は病気になって(一部は事故で)やがて死んでいくのだ。しかし、そのはかなさゆえにアイドルは美しいのかもしれない。

ところで、〈自我とその意識だけが実在し、他者や世界は自我の意識のなかに存在するにすぎないとする立場〉を哲学では「独我論」と言うが、〈自分が死んでしまったら世界はなくなる〉と考える人にはたして倫理は成り立つのであろうか?世界が消滅した後に「差別」、「貧困問題」や「環境問題」がどのような意味を持つのだろう?

すべてが消えた後でも「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則は不滅である」とカントは語るのであろうか?

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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