教育現場がブラックだと言われて久しい。
世間ではいろいろ言われているようだが、内部にいる人間はだいぶ世間とは意見が異なる。
「政府の無策のせいで、教育現場がブラックになった」まあそういう側面もあるだろうが、根本的に違う。教育現場をブラックにしたのは大衆である。だから最近の公教育の衰退は、大衆にとって自業自得と言える。
かつて、我々には教科の研修をする時間的余裕が与えられていたし、各種法律によって給料面でも多少の優遇があった。そのために自分の周囲でも、今とは比べ物にならないほど、優秀な人材がごろごろいたように思う。(ちなみに僕は埼玉県立高校出身だが、英語の先生に宇波彰先生という哲学者がおり、後に法政大学教授になられた。)
ところが今から30年前頃から、日本経済が傾いてくるにつれて、世間は(マスコミは)こぞって教員叩きをし始めた。
景気に左右されにくい公務員に対する、やっかみもあったと思う。
その時のことを今でも忘れられないのだが、先鋒を切って連日教員を攻撃し続けたのは、某左翼系全国紙であり、意外なことに、節度を持って教員の立場も考えて報道したのが、どちらかと言えば右寄りの大衆全国紙であった。(そういうわけで、僕は「右寄りの新聞が権力にへつらう報道機関であり、左寄りの新聞が自由と権利を尊重する大衆の味方である、という図式」をまるっきり信じていない。)
当時教員に対するどんな嫌がらせがあったか、少しだけ紹介しよう。僕は定時で帰宅することの多い教員ではあったが、それでも生徒が問題を起こした時など、夜の10時くらいまで学校に残ることもあった(会議で7時は当たり前)。ところが新聞を読むと、「教育を正す会(名前は適当です)」のような会が毎日退勤時に校門で教員を見張っていて、1分でも早く退勤する教員がいると通報する、という事例が日々(嬉しそうに!)報道されているのであった。(残業手当なしで)居残ることや、休日に部活動をすることは当然で、退勤時間は厳守しろっておかしくないですか?
教員いじめは、もっと複雑なやり方でも存在する。「公教育は、受験に偏重するのはいけない」ということで、我々は受験産業との接触をかなりの程度制限されており、何よりも教科の研究をする時間をほとんど持てない。それにもかかわらず、各学校(筆者は高校)は進学実績を比較され、実績が伸びないと叱咤され、おまけに(現役の教員は役にたたないから)予備校の講師が公教育の場で講習する、ということが認められている。こんなことでは、現役の教員のプライドはどうなるのであろうか?
公務や部活動について僕が何かを言う資格はないが、それ以外でも何しろ雑用が多すぎる。自分の学校が「採用していない」教科書について何十冊も調べてコメントをする作業を、なぜ現場の教師にさせるのか?PCに出席を入力するようになったのに、手書きでの出席簿記入も続けるということは、単に作業が倍になるだけである。さらに、1つの「週案(授業プラン)」に16人がハンコ押したり、意味不明で無駄な作業が多すぎる。
教育現場をホワイトにすることができるのも、大衆しかいない。外部から批判ばかりするのではなく、税金がより教育に投入されるようにすればよい。具体的には、すべての学級を30人学級にし、教員の授業数のmaxを15コマにし、部活動は外部委託にし、教員の土日勤務は原則禁止にし、あとは民間並みに(あるいは民間以上に)給料を上げればよいのだ。
大衆は(そしてマスコミも!)、長い間さんざん教育の世界を非難してきて、その待遇をどんどん下げていった。そして自分たちがそうしたにもかかわらず、「先進国でこんなに教育を粗末にしているのは、日本だけだ」などと言うのである。(同じ構造が最近の「財務省叩き」にも見られる。)