今回扱うのは、山口真由『世界一やさしいフェミニズム入門』 (幻冬社新書)です。今回は第三章までをご紹介します。議論の細かい部分に関しましては、直接本書を購入し手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。*の後は私の個人的な「感想」です。
【まえがき】
本書は次のような書き出しで始まります。
「「私はフェミニストではありませんが」そう前置きしてからジェンダーを語る人を幾度も目にした。」
* これが含意することは何でしょうか?「私はフェミニズムに関してよくは知らないけれども、何か過激な活動をしているわけではありません」というメッセージなのでしょうか?私自身も、このような前置きをして話し始めていたかもしれません。しかし、ここでは、あらゆる先入観から自由になって、この運動=思想を勉強してみたいと思います。
【第一章 フランス革命とヨーロッパ、フェミニズムの息吹】
女性の権利を求めるのろしをあげたのは、メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792)であるとされます。これはちょうどフランス革命と重なる時期です。彼女の思想は次のようなものです。「女性が劣った地位にあるのは、生来的なものではなく社会的な理由による」ウルストンクラフトは次のようにも言います。「「養われるための結婚」は売春の一形態である。」さらに筆者(今後、山口と表記します)によれば、「ウルストンクラフトは、性別を人種などと同じく階級と捉えていたという点でも先駆的」でもあったのですが、彼女が再評価されたのは19世紀末になってからだったのです。
また、ウルストンクラフトとは直接の接点はありませんでしたが、同時代のオランプ・ド・グージュは、男性だけを対象としたフランスの「人権宣言」を真正面から批判しました。彼女は「完全なる男女平等を宣言」し、多岐にわたる主張をしましたが、最後は投獄されて処刑されたのです。
このように、フランス革命ではじまった「フェミニズムの熾火は消えることなく、(ブルジョワ女性から)労働者階級の女性たちへと広がって」いきました。それは1830年の七月革命と1848年の二月革命においてであった。このフェミニズムの復活は、フーリエやサン・シモンの思想的影響が大きい。
* 現代の目から見れば、いろいろな問題点はあるとはいえ、フェミニズムの基本的な論点が200年以上前に提出されていたことに、驚きを禁じえません。ウルストンクラフトやグージュに反応した当時の哲学者や思想家はいなかったのでしょうか。一方、フーリエとサン・シモンは、必ずしもすべてが重なるわけではありませんが、資本主義と異なる共同体を志向したという点で共通しています。今でも一部のフェミニズムは反資本主義に結びついていますが(私は必ずしもそれに賛同しませんが)、ここに源流があるのですね。
さて、一方イギリスでは「家庭という私的領域の中で、建前上、女性は一切の権利を持たなかった。」のですが、1867年頃、J・S・ミルが女性参政権のための請願を行います。(ミルはこのサイトでも『自由論』の入門書で取り上げました。)ミルとそのパートナー、ハリエット・テイラーによる『女性の解放』が先駆的であったのは、男女の差異は「作られた差異」であるとしたところです。その後、イギリスでは、1910年の女性参政権運動「ブラック。フライデー」以降、運動は過激化しますが、この運動は、「第一次世界大戦の幕開けによって休戦状態を迎え」ます。それでもイギリスでは1928年には完全な形で女性参政権が取り入れられます。しかし世の中の女性たちは政治に積極的に参画しようとはしませんでした。
* ミルということで、「フェミニズムと自由」という観点で考えることも面白いかもしれません。ところで『女性の解放』ですが、岩波文庫からリクエスト復刊されており、値段も手ごろなのでぜひ読んでみたいです。
【第二章 マグドナルド化とリベラル・フェミニズム】
この章ではまず大量消費が特徴の20世紀アメリカが描かれます。そこでは男女の賃金格差が拡大し、家事労働が主婦の「誇り」と見なされるようになりました。「「生産」の場たる職場というパブリックな空間に対して、「再生産」の場たる家庭はプライベート空間となる」のです。
このような専業主婦の憂鬱に切り込んだのが、有名な(私でも知っている)ベティ・フリーダンの『女らしさの神話』(1963)です。なんと岩波文庫から昨年の秋に発売されているではないですか!(また読まなければいけない本が増えました。)フリーダンの面白いところは、「女らしさの神話」がフロイト理論に影響されたという指摘です。
具体的に言いますと、「フロイトの女性論は、女性の特徴を「ペニス羨望」や「受動性」などとしているように、男性(男の子)を主体の立ち位置におき、女性(女の子)を客体(対象)の立ち位置におく「男根一元論的」な理論構成であったと言われているのです。」(ジェシカ・ベンジャミン『他者の影』解説より引用)
フリーダンの主張は次のようにシンプルで力強いものです。「女性が女性である前に人間であることを無視してはならない」フリーダンの活動は1966年の「全米女性組織」結成に結実します。
* しかし、フリーダンが第三章で紹介されるボーヴォワールを読んでいたということはなかったのでしょうか?フリーダンの言葉は、ボーヴォワールの言葉を別の言い方で言い換えたようにも思えます。
山口によれば、フリーダンたちの活動は、「性差別的な現行のシステムの「改良」を目指すものの、それを抜本的に「改革」することまでは求めない」『リベラル・フェミニズム』とされます。
【第三章 生み落とされたラディカル・フェミニズム】
第二波フェミニズムは、シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』(1949)を源流とするらしいです。この本は第1巻は私も持っていますが、フリーダンより10年も前に出版されているではないですか!
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名なこの一文が、「セックス」と「ジェンダー」を切り離したと言われています。どうでもいいですが、サルトルはこの考えにどう反応したのでしょうか。(全然関係ないですがボーヴォワールは『老い』もまたすごい本です。)
山口は「60年代後半から湧きおこるリブ運動は、まさにセクシャリティの問題を中心に据える」、さらに「アメリカのリブ運動はニューレフト運動の中から生まれた」と述べます。
このニューレフト運動の矛盾を突いたのが、メアリ・キングとケイシ―・ヘイドンでした。彼女たちは、学生運動の中で性的な役割分担が再生産されたことを告発したのです。
* 権力を批判する組織が、権力的な構造になっていくように、このような現象を私たちは歴史の上で何度も目にしてきました。
第二波フェミニズムを象徴する言葉が、「個人的なことは政治的なこと」です。こうして活動の目的が「女性解放」であると明確になったにもかかわらず、運動は分裂していき、フェミニズムの運動はニューレフトから分離していきます。
山口によると「労働を中核に置くマルクス主義に対して、ラディカル・フェミニズムはセクシャリティこそが争点だと考え」その活動はますます過激化していきました。
* ニューレフトは訳すと「新左翼」ですが、国によってだいぶ趣が異なります。アメリカではベトナム反戦運動や公民権運動と結びつきますが、フランスでは「五月革命」、日本では反スターリン主義やトロツキズムが広がり、既成左翼(日本共産党など)とは異なる形の学生運動に結びついていきました。
このように「実践から入ったラディカル・フェミニズムは、遅れて理論化の契機が訪れる」こととなります。最初はケイト・ミレットの『性の政治学』(1970)です。(邦訳は中古でしか入手できませんが、英語版は安いです)。ここでは「両性間の性交の場においても、実は「政治」が存在する」と指摘され、男性による権力の独占を告発します。「ミレットは、男性支配に生物学的な根拠はないと考えて」います。ですからミレットによれば、「家族こそが「家父長制の基幹システム」」なのです。
* 過激な発想ですね。しかし私も古代ギリシャから「セックスに権力が介在する」と考えます。ただその権力が男性の一方的な支配構造であるかは、まだ結論が出ていません。また「生物学的根拠がまったくない」かどうかについては、にわかに結論を出せないと思います。
続いて同じ年に出版されたファイアストーンの『性の弁証法』(1970)は、ラディカル・フェミニズムの理論的指導書となります。(これまた邦訳は中古でしか入手できません。)彼女の主張は「女性が子どもを再生産するという事実こそが、労働のジェンダー分業の原因」であるというものです。そして「女性による生殖手段のコントロールが必要」であると訴えます。
* 子どもを「再生産」という視点から考え、生殖をコントロールするという考え方は、やや図式的で不自然なものを感じます。しかし、ここで理論的にファイアストーンを批判するほど勉強していませんので、あくまでもそう感じるということです。
この後、ラディカル・フェミニズムは、ポルノや売春の規制へと向かいます。この担い手は主にキャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンです。
マッキノンはセクシャル・ハラスメントを理論化し、さらに「男性用に作られた鋳型に女性を押し込める」ような平等は、不平等に他ならないことを指摘します。その上で「男性をモデルとした法を根本から作り替えること」を提唱します。マッキノンは、「ポルノは表現の範囲から行為へとはみ出している」と説きます。しかし彼女の提唱した反ポルノ条例は、どれも成功しませんでした。
* たしかに「女性が男性並みになる」という発想そのものが問われなければならないと思います。しかし、その場合、「平等」とはどのような物差しによって測定されるのでしょうか。反ポルノ条例がすべて失敗に終わった原因を詳細に知ってみたいです。
一方ドウォーキンは、壮絶な過去の体験の後、ラディカル・フェミニズムの運動に身を投じ、「性愛に伴うミソジニー(女性蔑視)を、徹底的に、完膚なきまでに批判した」のです。
ラディカル・フェミニズムの批判する構造とは、「本来、何を望んでいたのかを頭の後ろ側にしまい込んで、彼女は自らの主体性を手放し、彼の性的対象物として作り替えられていく」ような構造なのです。ドウォーキンは、「男性支配構造を破壊するためには、既存の法的秩序に頼らずに、その外から直截な行動が必要であると説いた」のです。
* 「直截な行動」とははたして何なのでしょうか。しかし、彼女の発言は体験に裏打ちされたものなので、ある意味大変迫力のあるものだったらしいです。それにしてもあらゆるミソジニーを可視化する必要がありますね。
しかし、ラディカル・フェミニズムは、その急進性のゆえに、またアカデミズムに取り込まれたことにより、「急速に吸引力を失ってゆく」のです。
* 「アカデミズムに取り込まれたがゆえに」ですか。考えさえられます。
(次回に続く)