今回は、児玉聡『功利主義入門』 (ちくま新書)の最終章である第7章をご紹介します。議論の細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「  」は原則引用部分です。(ただし「功利主義」のように、引用でなくてもある用語に「  」を使用することがあります。)なお*の後は、私の個人的な「感想」です。

【第7章 道徳心理学と功利主義】

本章の冒頭で、世界中で貧困や病気で苦しむ人々が大勢おり、私たちの大半はそれを「ひどい事態だ」と認識しつつも、特定個人が苦しんでいる時ほどには、手助けしないことの原因が問われます。

その一因として、「統計上の人命が問題になる場合に比べ、特定個人の人命が問題になる場合の方が、人々の共感の度合いが強くなることが示唆された」という研究が紹介されます。このような事態を、オレゴン大学のポール・スロヴィックは「心理的麻痺」と呼びますが、なぜこのような事態が生じるのでしょうか。

このような事態を説明するために、「思考には二つのシステムがあるという理論」が紹介されます。マサチューセッツ大学のエプスタインは、「われわれの思考様態を、経験的システムと分析的システムに分け」ました。著者によると、「経験的システムの特徴は、情動を基盤にしていることだ。」「他方、分析的システムの特徴は、推論を基盤にしており、情報処理に時間がかかり、労力を要し、より自覚的な手順を経ることだ。」とあります。

* ここで、本書であまりふれられていない残酷な現実を書きますと、多くの人々は、特定個人が苦しんでいても、それがまったくの他人である場合、表面的に共感はするものの、実際には手助けはしません。「特定個人」か「大多数」か、という比較もそうですが、「他人」を助けることの意味も問われなければなりません。

ここで、このような研究と倫理学にどのような関係があるのかが、考察されます。脳科学や心理学のように、「人間はこう考え・行動する」ことの正確な記述を目指すものを、記述理論と呼びます。一方、倫理学は「人間はこう考え・行動すべきだ」という当為を問題にしているため、規範理論と呼ばれます。

* ところで、私が高校で教えている英文法は規範文法です。規範文法とは、正しい言語表現と考えられる言葉のきまりを述べた文法です。その特徴は、あるべき理想の言語の姿を描くということです。一方、記述文法とは、ある言語の文法現象をありのままに記述する文法です。その特徴は、話者が実際に使う文を観察することです。

グリーンらの若手研究者は、「トロリー問題」などの思考実験の際に、脳活動をMRIで測定し、脳活動を調べました。その結果、「情動が強く働くケースにおいて、合理的思考を用いて直観に反する結論を導くためには、かなりの心理的抵抗が生じる」という結論が得られました。

* トロッコ問題( trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題です。1967年にフィリッパ・フットによって提唱されました。マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』の冒頭にも登場したので有名です。

著者はこのグリーンらの研究は、「倫理における情動の役割を真剣に考えることをわれわれに要求しているように思われる。」としています。そしてこのことは、理性を重視する功利主義的な合理主義だけでは十分でないことを示しています。

* ここで話を整理すると、人間は情動を基盤に判断する傾向があるので、正しい判断ができないという話から始まり、そうはいっても脳科学などの知見によれば、情動に動かされることは人間の本性なのであるから、倫理規範を考える際にも情動を考慮に入れるべきだ、と話が進んできていると思います。
* 一方、ピーター・シンガーなどの功利主義者は、そのような情動に目を眩まされることなく、世界で苦しむ人、あるいは苦しんでいる動物たちに目を向けるよう促しています。(「効果的利他主義」にもこの功利主義的で合理的な考え方が強く反映されています。また、動物倫理で言うと、シンガーはあくまでも「種差別」であるから動物からの搾取に反対しているのであって、「かわいそうだから」ではありません。)

著者は、感情の役割も検討し直して、規範理論を作り直すことを提案します。

* 私自身も、倫理的判断において、情動(感情)の役割は無視できないと思いますし、感情だけでなく、その人がその人である「個別性」、ある場面が持つ「偶然性」も重要な意味を持つと思います。ですから「規範」を作ることなど、そもそも可能であるのか疑問に思います。
* 一方、以前も書きましたが、人間の情動を考慮すればするほど、功利主義(あるいは義務論)が本来持っていたラディカルさが消えて、倫理判断が世間の「常識」に近づいてしまう危険性もあると思います。
(ここらへん、私自身もまだ混乱しておりまして、どうすればいいのか、自分で結論が出ていないのですが。)

ここで本書では、功利主義が導く「合理的な」結論が「直観」に反する場合、その直感に反した結論にわれわれが従うように仕向ける動機について検討していきます(話は援助問題に限定します。)。

第一の戦略は、「教育や文化の力によって海外援助に関する直観的思考を強化することだ。」

* 直観的思考を強化することなど、果たしてできるのでしょうか。教育の力によって「あらゆる人との一体感」が生まれることなど、よほどの宗教的体験でもない限り不可能な気がします。「教育や文化の力によって・・・合理的思考を強化すること、なら分かるのですが。

第二の戦略は、直観的思考を強化しようとするのではなく、「共感能力の特性」を利用するものです。具体的には、メディアなどを使って情動に働きかけることです。前にも出てきましたnudgeが例として挙げられます。無理やりに合理的な結論に納得するのではなく、情動に訴えかけ、自然とその合理的な結論に達するようにさせるという作戦です。著者は「情報に対して批判的に考える習慣なしには」援助活動につながらない可能性があると述べます。

* この最後の部分は大切なところです。ある権力者が人々の情動を操作することによって、自分にとって都合のいい「合理性」を人々の無意識に植え付けてしまう可能性があるということです。

第三の戦略は、直観的思考を強化するのでもなく、情動に働きかけるのでもなく、あくまでも合理的思考を重視するというものです。ここではビル・ゲイツの例が挙げられます。

* ビル・ゲイツの例とは、端的に言えば数字を重視するということです。これは、先ほど挙げたシンガーやマッカスキルの「効果的利他主義」の考え方に極めて近似していると思います。たとえば、シンガーは『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ』において、「効果的利他主義者」と「功利主義者」は完全には重なり合わないとしても、多くを共有していると述べています。その両者に共通するのは「情緒的な共感」ではありません。シンガーは同書で「数字を重要なものとして認識する能力は、共感ではなく理性から生まれる」と言っています。

* この第三の問題点として、著者は「ほんの一握りの人しかこのような思考はできないのではないか」と疑問を呈していますが、私もまったくその通りだと思います。さらに付け加えておきたいのは、「いったい誰がそれを合理的であると判断するのか」という問題です。ゲイツにしてもシンガーにしても、数字を妄信しすぎだと思います。前にも出した悪い例ですが、人の命よりもレアメタルの方が大切なトランプ米大統領のような人間にとっては、ゲイツやシンガーを「合理的」とは考えないでしょう。この点は著者も、合理的思考はそもそもの出発点が間違っていた場合、途方もなく大きな誤りを引き起こしてしまう可能性があると指摘しています。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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