久しぶりの映画館。大学時代「シネマ研究会」に属していた僕も、今ではすっかり映画にはご無沙汰だが、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品はなるべく観に行くようにしている。(ちなみにここ30年のパルム・ドール受賞作30本のうち、少なくとも24本は観ている。)さて、今回鑑賞したのは、2024年パルム・ドール受賞作品『ANORA アノーラ』である。
* この後、なるべく「ネタバレ」にならないように留意したいとは思いますが、それでも少しはバレてしまうのでご注意ください。
【あらすじ(ほんのちょっぴりだけ)】
ストリップダンサーのアニー(アノーラ)は、自分の働くストリップ・バーでロシア人の御曹司、イヴァンと出会う。彼女はロシア語を少し話せることもあり、イヴァンと懇意になり、1万5千ドルで1週間彼が親から借りている大邸宅で「専属の彼女」になる契約を結ぶ。その後、二人は友達仲間とプライベート・ジェットで向かったラスベガスで、親には内緒で婚姻届を出す・・・ここまでは、あるセックスワーカーが、親の七光りで豪遊するクズ息子と幸せになる「シンデレラ・ストーリー」なのであるが、この後物語は大きく転換する(ここからは内緒にしておきます)。
正直言って、冒頭のストリップのシーンから始まって、あとは二人のセックス・シーンばかり(それも何の情緒もない描写)。ラスト・シーンも車の中の性行為で、かなり辟易したというか、僕は映画の性描写って苦手なのだが、彼らにとってセックスとは簡便なコミュニケーションの手段なのかな? 性風俗店はもちろん、クラブ?みたいな店内も、自分の人生には縁のない世界で、そういう意味では共感できない。
もちろん映画の主題はそんなところにはない。しかし、じゃあどこに映画の主題があるのかと問われると、なかなか言語化するのが難しい映画で、様々な評を読んでみても、「セックスワーカーと御曹司の、格差と尊厳の問題」と捉える評もあれば、「アニーが幸せを掴み取ろうとする圧倒的な生命力」に注目した評もある。「作品」なのだから、どんな観方で観てもいいのである。正解などはない。
僕は、全然関係ないところに目を付けた。この映画の前年にパルム・ドールを受賞した『落下の解剖学』(たまたま明日の夜WOWOWで放映される)もそうであったが、「言語の問題」である。主人公の二人が交わす言葉がロシア語から英語に変わる瞬間、主人公がアニーからアノーラに変わる瞬間に映画の中ではどのような「運動」が起きているか?
そして、さきほどラスト・シーンのことを書いたが、実はなぜか性行為は中断されてしまうのだが、それにはどういう意味があるのか?そして、少し「シネ研」ぽい観方なのであるが、画面上クロースアップで切り返しが多用されるのはなぜか?
そんなことを考えながら帰路につき、ビールを飲んで、ぼんやりと考えをめぐらせたのであった。