ジョージ・フォアマンが亡くなった。
なぜ彼について語るかと言えば、ボクシングは、今や僕が観戦する唯一のスポーツだからだ。小さい頃はプロ野球やプロレス、その後高校野球やテニス、サッカーなど(まあ主にテレビではあるが)喜んで観戦していた時期もあるが、今はすべて興味がなくなってしまって、ボクシングだけが残ってしまった。
さて、ジョージ・フォアマンであるが、まずは彼が登場する前の時代背景を説明しなければならない。
1964年1人の黒人青年が、22歳の若さでソニー・リストンを倒し、世界ヘビー級王座に就く。彼の名前はカシアス・クレイである。マルコムXに共鳴しイスラム教に改宗した彼は、試合後、本名をモハメド・アリへと改名した。
その後アリは1967年3月王座を防衛した後、ベトナム戦争への良心的兵役拒否のため、ヘビー級王座を剥奪され、ボクサーライセンスも剥奪され、3年7か月間のブランクを作った。
* 「マルコムX」や「ベトナム戦争」といったキーワードがわからなければ、アリのカリスマ性は理解できません。
1971年3月、長いブランクの後、アリは世界ヘビー級統一王者ジョー・フレージャーに挑戦する(無敗同士の対決)も敗戦する。
1973年、そのフレージャーにジャマイカで勝利したのが、ジョージ・フォアマンであった。(無敗のフレージャーを、これまた無敗のフォアマンがボコボコにしたと言ってよく、この試合は「キングストンの惨劇」と呼ばれた。)
その後、1974年1月、今度はモハメド・アリが、ニューヨークでジョー・フレージャーと3年ぶりの再戦を行い、雪辱を果たすとともに、王者ジョージ・フォアマンへの挑戦権を獲得した。ここから、あの有名な「キンシャサの奇跡」が生まれるのである。
1974年10月、現在のコンゴ民主共和国の首都キンシャサで、WBA・WBC世界ヘビー級統一王者ジョージ・フォアマンにアリが挑戦することが決定する。対戦のポイントは「象をも倒す」といわれたフォアマンのパンチ力と、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」といわれたアリのスピードであったが、アリはブランクから復帰後の試合では衰えがみられ、誰もがフォアマンに叩きのめされるだろうと思っていた。
両者のファイトマネーは、今から50年前であるのに、500万ドル(当時のレートで約15億円)であり、試合の模様は世界60カ国へ衛星中継された。世の中にはもちろん衛星放送やネットなどなく、日本でも現・テレビ朝日の特別番組で放送された。要するに誰もが同じ番組を観ていた時代であって、当時高校生だった僕も、翌日学校で熱くこの試合について語りあったものである。
さてその試合であるが、前半フォアマンがアリをロープ際に追い詰め、滅多打ちにする。アリはロープにもたれながらがっちり顎とボディをガードし、ときにはリング外にのけぞるようにスウェーして致命的なダメージを回避した。しかし、誰もがアリはフォアマンの餌食になるだろうと思っていた。ところがフォアマンは、強振を繰り返して体力を消耗した結果、第8ラウンドにアリの一瞬の連打によって大逆転負けを喫する結末となったのである。アリのこの捨て身の戦法はロープ・ア・ドープ (Rope a Dope) と呼ばれた。この試合は、YouTubeにもあるので、是非観ていただきたい。またノーマン・メイラーという作家が、『ザ・ファイト』というノンフィクションを発表している。
アリに敗れたフォアマンは、復活を試みるが、何試合かに勝利した後、格下のジミー・ヤングに判定負けを喫する。試合後、フォアマンはロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身するのである。
ところが、フォアマンはその後資金難に陥り、38歳で現役に復帰することを決意する。そして、1994年11月、19歳年下の王者マイケル・モーラーに、10回KO勝ちを収め、45歳で世界ヘビー級王座の返り咲きに成功するのである。