今回も引き続き、小川仁志『はじめての政治哲学』 (講談社現代新書)の【第3章】をご紹介します。議論の細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「リベラリズム」のように、ある用語に「 」を使用することがあります。)なお*の後は私の個人的な「感想」です。
【第3章 差異と平等をめぐる論争】
本章の冒頭では、まず社会主義の意義が問われます。1989年ベルリンの壁崩壊とともに、社会主義陣営は消失してしまったわけですが、その思想的重要性は失われることはありません。
マルクスは、「初期社会主義」のサン=シモンやフーリエを非科学的であると批判しました。彼の唯物史観は全体の理論的土台で、下部構造と上部構造の関係はその具体的な仕組みです。また労働価値説は資本主義の搾取メカニズムを説明し、それが人間の疎外を引き起こすことを示しました。
マルクス、特にその『資本論』については、このサイトでまた別に取り上げる予定ですので、ここでは社会主義国家が崩れ去った後も進化を遂げる「アナリティカル・マルキシズム」に焦点を当てたいと思います。
アナリティカル・マルキシズムの特徴は、以下の5点が挙げられます。
1.分析哲学や論理実証主義の方法論を取り入れ、概念の厳密な定義や仮説検証を重視します。
2.「方法論的個人主義」を採用し、社会現象を個人の行動や選択の集積として説明します。
3.マルクス主義の経済分析(特に労働価値説や搾取理論)を現代の経済学(ゲーム理論やミクロ経済学など)を使って再検討します。
4. 歴史的唯物論(社会の発展は物質的条件に規定されるという考え)を支持しつつ、その因果関係をより精密に検証します。
5.階級を単なる経済的地位だけでなく、権力や機会の不平等として捉え直し、現代社会における階級構造の複雑さを考慮します。
アナリティカル・マルキシズムは、リベラルの正義論では不十分であることを批判し、その代替案を提供することを基本目標としますが、本書に紹介されているキムリッカによると、これには二つの潮流があります。
「一つは正義の理念それ自体に反対する潮流です。」
「もう一つは、正義を重視するものの、それが生産手段の私的所有と両立するというリベラルの主張を退けようとする潮流です。」
この本では引用箇所が明記されていないので、キムリッカがどのような文脈で上記の発言をしたのかよく分かりません。
次に本書では、マイノリティの抑圧や多文化主義を議論します。多文化主義の議論は、カナダの「ケベック問題」をきっかけに広がっていきました。
チャールズ・テイラーは「最大限平等を尊重しつつも、ときに差異を認めるとする立場」をとります。「差異を認める」とは、「あらゆる文化に独自の価値があると仮定するのを認める」ということです。テイラーによれば、彼の議論の根底に横たわっているものは、ヘーゲルの「相互承認論」です。この相互承認のための対話は、多数決の原理と対決します。
キムリッカも多文化主義に関して議論を展開しています。彼の主張を本書から引用します。
「キムリッカは(中略)固有の文化を有するエスニック集団が存続可能で、独自性を維持し続けることができるような特別の権利を与えるべきだと主張します。」
この他にI・M・ヤングの説も紹介されますが、ここでは省略します。
まとめますと、テイラーもキムリッカもヤングも、「一応は差異を有する社会集団の共存を目指しているといえます。」
ところが「差異の政治」や「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ばれる思想では、必ずしも共存を求めているとは言えません。たとえばコノリーは、「常に差異のための抵抗の場を確保することによって、アイデンティティを固定化しないようにする必要があると訴えるのです。」コノリーの立場を取りますと、「究極的には個人単位での権利の尊重が理想になります。」
次に、「宗教多元主義」が論じられます。この立場を代表するのがジョン・ヒックです。「彼は信仰の特殊性や排他性を損なうことなく、同時に他の宗教に開かれた状態をいかにしてつくるのかという困難な課題に取り組んできました。」
ヒックの考えでは、個々の宗教は同じものを違った見方でとらえているとされます。
宗教多元主義が私たちに教えてくれることを著者は以下のようにまとめます。
「相手を遠ざけることによって恐怖心を取り除くことなどできません。そうではなくて、相手を認めたときはじめて、恐怖心は消え去るのです。」
この観点から、次にフェミニズムが検討されます。このサイトでも以前フェミニズムの入門書を扱いましたので、内容が重複しないように大切なところだけ抜き出しておきましょう。
本書では紙数の関係からあまり詳しいフェミニズムの歴史は述べられていません。オランプ・ド・グージュの後、いきなりJ・S・ミルの『女性の解放』が出てきます。ミルに代表される「第一派フェミニズム」は、公的な領域における男女の平等を求めるにすぎないことに限界がありました。
「第二波フェミニズム」はベティ・フリーダンから始まります。フリーダンは「女性らしさ」というステレオタイプを告発します。続いて「ラディカル・フェミニズム」が台頭します。ケイト・ミレットは家父長制を問題視し、社会構造全体の変革を目指しました。
以上二つの波を受けて、スーザン・M・オーキンとジュディス・バトラーの思想が紹介されます。バトラーにつきましては『世界一やさしいフェミニズム入門』(3)で扱いましたので、オーキンについてだけ簡単にまとめます。
スーザン・M・オーキンの思想は、フェミニズムの視点から正義と家族の関係を再考し、ジェンダー平等を政治哲学の核心に据えることを目指したものです。彼女は、公的な領域ではない家族内の不平等が社会全体の正義を損なうと主張し、「プライバシーの概念」に注目します。彼女は家事・育児の分担や公共政策を通じてジェンダー平等を実現する具体的な提案を行いました。
次に「ケアの倫理」が検討されます。これは『世界一やさしいフェミニズム入門』(2)で少しふれました。この本でも同じようにキャロル・ギリガンの『もうひとつの声』が取り上げられます。それは「女性の道徳は、責任や関係性に基づく「ケアの倫理」だ」という主張です。そこでは「自己と他者の関係性によって倫理が形成されていく」のです。
この章の最後で「福祉国家」が検討されます。要するに、「国家はどこまで(国民の)面倒を見るべきか?」という議論です。「福祉国家」とは「国民が最低水準の生活を送れるような政策を実現する国家」を指します。「福祉国家」を三つのレジームに整理したのが、イェスタ・エスピン=アンデルセンでした。
一つ目は「スカンジナヴィア・モデル」です。これは「社会民主主義的レジーム(Social Democratic Regime) 」とも呼ばれます。その特徴は、普遍主義に基づく高水準の福祉サービスと所得再分配です。国家が積極的に福祉を提供し、平等と社会統合を目指します。 高い税負担と包括的な社会保障を目指しますが、高い税負担が生じます。
二つ目は「大陸型の福祉国家モデル」です。これは「保守主義的レジーム(Conservative Regime)」とも呼ばれます。その特徴は、伝統的な家族構造や社会的階層を維持することです。福祉は主に雇用者や家族を通じて提供され、国家は補助的な役割を果たします。中心となるのは社会保険制度です。職業や地位に基づく給付が特徴で、家族依存が強いという問題があります。
三つめは「アングロサクソン諸国型」または「自由主義的レジーム(Liberal Regime)」です。その特徴は、市場主導型で、国家の介入は最小限となります。社会保障は必要最低限のセーフティネットとして機能し、給付は所得調査に基づきます。
市場依存度が高く、民間福祉や自己責任が強調されることになります。
これら現実のレジームをすべて否定したのが、経済学者のアマルティア・センです。本書から引用します。
「センはそれまでの財や効用のみに焦点を合わせる福祉の議論を批判しました。というのも、財はあくまでも手段であって、手段を実際の福祉に変換する際、受け手の側に個人差が生じてしまうからです。」
「そこでセンは、「ケイパビリティ」という独自の概念を導入します。ケイパビリティとは、「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」のことだとされます。」
「ある人が持つことのできる人間生活の諸項目の組み合わせこそが、ケイパビリティなのです。したがって、その人の自由が実現されているか否かは、実はどれだけのケイパビリティを持ち備えているかによって測られることになります。」
著者の説明を補足します。ケイパビリティとは、個人が実際に達成できる機能(functionings)と、それを可能にする自由や機会両方を指します。具体的には、個人が望む生活を送るための選択肢や機会を与えられる自由、 健康であること、読み書きできること、コミュニティに参加すること、多様な価値観(社会的・文化的)、個人差等を重視します。
本章の著者によるまとめです。
「第一義的にケイパビリティを発揮する機会を与える義務があるのは、やはり国家をおいてほかにありません。」