今回も引き続き、小川仁志『はじめての政治哲学』 (講談社現代新書)の【第4章】をご紹介します。議論の細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「リベラリズム」のように、ある用語に「 」を使用することがあります。)なお*の後は私の個人的な「感想」です。
【第4章 共同体をめぐる論争】
第4章では、「国家」「ナショナリズム」が何であるかが問われます。
本書における国家の定義ですが、「一般に国家とは、ある一定の領域内に住む人々に対して、持続的に統制権を行使する組織をいいます。とりわけ近代国家の場合、領域、主権、国民が、国家を規定する三要素であるといわれます。」とされます。
* 「政府(国民を統治し、法律や政策を実行する統治機構)」を要素に含める考え方もあります。
次に、国家が必要とされる理由ですが、これには3つの考え方があるとされます。
一つ目は、「自然的共同体として国家が求められる。」という考え方です。「人間にはより善く生きるために、共同体を組織する性質がある」ということです。
二つ目は、権力国家観です。「この立場は、人間を利己的な存在であるととらえており、そんな人間を秩序のもとで生活させるためには、ある種の物理的な強制力が必要になる」という考え方です。
三つ目は、契約による国家です。「人間は目的を達するために、契約によって人工的な組織としての国家をつくる」という考え方です。
次に、国家を「国家肯定論」と「国家否定論」に分ける考え方が紹介されます。後者の代表は、いわゆる「アナーキズム」です。
* 前者の代表としては社会契約論、ヘーゲル的国家観、ナショナリズムが考えられます。
* 後者にはマルクス主義・共産主義、リバタリアニズムが考えられます。
次に、国家を論じる上で鍵となる「ネーション」という概念が紹介されます。
ネーションには、大きく分けて2つの意味があります。
一つ目は「何らかの属性を共有する同質な人間の集団を指します。」例として、フィヒテの『ドイツ国民に次ぐ』が挙げられています。
二つ目は「国家が管轄する人々の範囲」を指します。「仮に国家が管轄する人々が同質性を有するような場合、そこには国民国家(Nation State)が成立するとされます。
本書によれば、ネーションは「同質性を要求することから、(中略)不平等の解消に貢献する
と同時に「人々の間の差異は強制的に平準化され」るということになります。
あるネーションが別のネーションと排他的な関係となって表れるときに、ナショナリズムが立ち現れるのです。
* ネーションはナショナリズムの基盤であり、ナショナリズムはネーションの意識を強化・拡大するイデオロギーです。両者は相互に影響し合い、歴史や政治の中で国家や社会の形成に大きな役割を果たします。
ナショナリズムの起源については、3つの考え方が紹介されます。
一つ目は、アーネスト・ゲルナーが明らかにした「近代の産業社会化がナショナリズムを生み出した」という考え方です。
二つ目は、ベネディクト・アンダーソンによる「グーテンベルクに代表される印刷術の発達がナショナリズムを生み出した」という考え方です。
三つ目は、A・D・スミスによるもので、「ネーションは近代になって生み出されたわけではなく、民族的な起源を持ち、ネーションの創造は周期的に更新される」という考え方です。
次に、ナショナリズムの類型について考えます。
* 本書は本当に「類型化」が多いです。その分、思考が深まっていかず、表面的なものになってしまうきらいがあります。
さてナショナリズムですが、「シヴィック・ナショナリズム」と「エスニック・ナショナリズム」に分類されます。前者は「国家の構成員が、共通の政治原理のもとに所属したいと望む点を重視」します。それに対し、後者は、「言語や文化などの民族的な一体性に基づく人々の紐帯を重視」します。
もう一つ「リベラル・ナショナリズム」も紹介されますが、ここでは省略します。
次に、「市民社会とは何か?」が問われます。
まず「市民社会の四つの概念」が紹介されます。
一つ目は、「政治社会」を意味するものです。
二つ目は、「市場としての市民社会」です。
三つ目は、「マルクス主義による市民社会概念です。」
最後は、「現代の市民社会論」です。これは、「市民社会を諸団体の集合」ととらえます。
これらについて、ヘーゲル、コーエン、アラートの理論を中心に検討されます。
まずヘーゲルですが、彼は「それまで政治的共同体を意味していた市民社会概念を、経済的な関係を表す市場として位置づけ」ました。彼は『法の哲学』において、市民社会を「欲求の満足や私的利益の実現を目指す諸個人の活動」と「(その)ニーズを交換し合う場」として把握しました。
現代においては、議会制民主主義がうまく機能しない情勢になってきました。ハーバーマスは『公共性の構造転換』において、ヘーゲルやマルクスの文脈と異なる市民社会の概念を提起しました。
* ハーバーマスの市民社会は、理性的な対話を通じて公共の利益を追求する市民の自律的領域です。それは民主主義の基盤であり、歴史的にはブルジョワ公共圏として現れましたが、現代では新たな形態(市民運動やデジタル公共圏)に進化しています。しかし、その機能はメディアや経済の影響を受けやすく、理想的な公共圏を維持するためには不断の努力が必要とされます。
そのような問題意識を受けて、市民社会理論を発展させたのが、コーエンとアラートでした。彼らは「国家、市場、市民社会を各々別のものと考える「三項モデル」を提示します。」市民社会の自律性が重要視されるのです。しかし「それらは決して国家に取って代わるわけではなく、あくまで国家の機能を補完するものとして求められている」のです。
ロバート・D・パットナムによれば、現代においては、そのような市民社会が解体するという危機が迫っています。そこで、コミュニティの問題が考察の対象として取り上げられます。
コミュニティの定義は数えきれないほどありますが、ここではとりあえず「人間が一定の地域に住み、そこで共同して生活する場」と定義しておきましょう。
ジェラード・デランティは「グローバリゼーションによって引き起こされた連帯や帰属の弱化と危機に対する一つの反応として、いまコミュニティの概念に注目が集まっている」と指摘しています。
日本においても『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)において、広井良典は「自立的な個人をベースとする、自発的かつ開かれた性格の共同体」を提唱します。
著者は、「ここで述べてきた地域社会の再生は、昨今問題となっている公共性の再生と表裏一体の関係にある」と述べます。
現代は「公」も「私」も揺らいでいる時代です。そこで著者は「公とも私とも異なる「公共性」の概念に新しい意義づけを行なっていく必要が叫ばれている」と述べます。その上で、「公共性をめぐる一番の課題は、自分のことしか考えないという極端な「私」と、国家を中心とした権力による強制として把握されている「公」という二極分化からいかに脱却を図り、1人ひとりの市民が主体的に社会を担っていけるのかという点にある」とします。
ここで、ハンナ・アーレントの思想が検討されます。
「(中略)アーレントは、『人間の条件』において、公共性を二つの次元で論じているといえます。それは「現れの空間」と「共通世界」です。」
* 「現れの空間」とは、人々が共に集まり、自由に発言し、行動することで互いに自己を現す(appear)場を指します。この空間は、物理的な場所(例:広場、議会)だけでなく、人々の対話や共同行動によって生じる動的で一時的な領域です。アーレントはこれを政治の本質とみなします。
* 「共通世界」とは、人々が共有する現実の場であり、物理的・文化的・社会的要素からなる、持続的で客観的な世界を指します。これは、人間が共に生き、互いの違いを認識しつつも共通の基盤を持つ空間です。
「かくしてアーレントは、複数の市民が自由に言論活動を展開する古代ギリシャのポリスのような空間を理想として掲げます。」
ハーバーマスは、公共性に関する説明を大きく変化させました。彼によると、「公共性は権力の批判というよりは、討議を通じた諸個人の意思決定の場へと姿を変えていくのです。」
ハーバーマスの議論に対抗する見解もありますが、ここでは割愛します。
次章へつながる問題提起として、著者はこの章を以下のように締めくくります。
「問題は、公共性の舞台がいまやグローバルなものに展開してきている点です。」