今回もまたXやThreadsで話題になったトピックを取り上げましょう。前回と同じで、投稿は初出のままを掲載します。軽い気持ちで投稿したものですので、言葉遣いなどに舌足らず、あるいは逆に言いすぎてしまったものがあれば、ご容赦ください。
私の投稿は「 」、「 」の前の数字は投稿順です。その後に、いただいたコメントのうちいくつかをご紹介します。
*は今回この問題をサイトで扱うに際し、私が書いたコメントです。
(1)「最近「なんなら」を誤用する人が多いと思ったら、こんな説明がありました。(リンク)」
* そもそも、この「なんなら」が気になったのは、SNSで教え子が投稿していたからでした。その教え子がかなり優秀な学生であったがゆえに、なおさら衝撃を受けたのでした。
* リンクにあります「NHK放送文化研究所」の解説をごく簡単にまとめますと、以下のようになります。
〔伝統的用法〕「なんなら、私のほうからお電話しましょう」(相手のために何かを提案する)
〔最近多い用法〕「カレーがほんとに好きで、なんなら毎日食べてます」((強調+親しみやすさを表現している)
* 「NHK放送研究所」の例をもう少し深く考察してみましょう。
「カレーが好きで、なんなら毎日食べてもいいくらいだ。」
この「なんなら」は成立します。なぜならば、この場合、「なんなら」は「カレーが好き」という気持ちをさらに強調し、「毎日食べてもいいくらい」という仮定的な状況を提示しているからです。
* しかし、「カレーがほんとに好きで、なんなら毎日食べてます」においては、実際の事実(毎日食べている)を述べています。「なんなら」は通常、仮定や可能性を表現するのに使われるため、確定的な事実を述べるのはやや不自然に感じられます。
* この問題をさらに学問的に追求したい方は、NHKサイト内のリンクにもあります、島田泰子「副詞「なんなら」の新用法」(『二松学舎大学論集』61、2018年)という論文をご参照ください。
【コメント】
・言語って本当に生きものですね。貴重な情報をありがとうございます。
・「なんなら」、、、つい使ってしまってました。では「なんなら」でないとしたらなんでしょう?
「ともすれば」とか「ややもすれば」とかですかね?
(2)「言葉は常に変化するもので、若者の言葉遣いを誤用だと指摘してまわっても、あまり意味がありません。たとえば「重複」を「じゅうふく」と読むと、昔は✖だったのですが、もはや昔話です。」
* 以下のコメントにもありますように、言葉は「知識のない人」に合わせて進化していくものです。それを「バカ」とか「無教養」と呼ぶことは、後にも述べるように間違っていると思います。
【コメント】
・言葉の意味や読み方、用法は時代とともにどんどん変わってくることは、明治以降の小説を読んでみるとよくわかる。
・今は重複ってじゅうふくって習うの?それともテストではバツつけられないってこと?
それとも誤用してる人の方が多いってこと?
・科学と化学とか、実子と実姉など、言葉だけで伝えなければならない場合は読み方を変えたりすることもありますね。
読み方を変えるという点で「重複」がじゅうふくになるのは相手の語彙認識力が低い場合を想定してる気がして、昔から言葉はバカに合わせていくんだなと実感します。山茶花や秋葉原とかもね。
・ずいぶん前から、こんな話に興味を引かれ言語科学者を研究したくなりました。
ようは、「記述的文法」と「規範的文法」というのがあることを、英語教育養成講座の受講している時代でした。
規範的文法:辞書に載っていなければ正しくなく、使ってしまえば不自然になってしまう。記述的文法:辞書に載っていないが、大勢の人がこれから使っていくだろうと推測して、正しくなる。みたいな説明になっていますが。
(日本語教育養成講座にも、この話題に触れることがありました。実例としては「違う」の、若者同士で
よく活用される「ちがかろう」や「ちがくない?」なんて言ったりしますと講師の方に教われましたが。
つまり、もともと同士だったはずのものを勝手に品詞を変えてしまって、形容詞扱いされているとのことです。)
(3)「でもまあ、それでも「なんなら」の誤用は気持ちは悪いのですが、前回までの投稿同様好みの問題です。それにしても、どのようにして、この誤用は使われるようになったのでしょうか?」
* 「NHK放送研究所」のグラフにもありますように、この「気持ち悪さ」に、年代の問題はたしかにあります。しかし、年代だけでなく、言葉遣いはその人の属している集団、教養、人格をも表すように思います。まさに「好み」の問題なのです。
(4)「最初誤用だった言葉が、正式な言葉に組み入れられる/組み入れられない、の境目はどこにあるのでしょうか?「じゅうふく」は辞書に載っていますが、「なんなら」は、「令和初期の若者の使用していたイタい誤用」で終わる、ということはないのでしょうか?」
* 「キモい」、「ディスる」は消えていくような気がします。今20代の方が20年後「キモい」と言うと、若者から「それ死語ですから。」と言われそうな気がします。
【コメント】
・「なんなら」…日常では、誤用であることを意識せずに使っていたような気がします。
誤用であった言葉が正式な言葉へと転化することを表す古いレトリック用語、カタクレーシス(希:κατάχρησις)という語は、それ自体に「濫喩」的な振る舞いが見られて面白いなと。現代フランス語においては、語の流用や転用が受け入れられた結果、常用となった表現を指す元来の用法が有力ですが、英語では正反対のニュアンスへと──つまり、「異常な」「不埒な比喩表現」、それこそ文字通りの「濫喩」としての用法が多く見られます。
(5)「しかし、忘れてはいけないのは、偉そうに誤用を指摘している私(たちの世代)も、若い頃は誤用をしていたのであり、上の世代から苦い顔をされていたという事実である。」
* 「最近の若者は本を読まないから」、「教養がないから」と言いたくなる人の気持ちも、わからないではありません。しかし、思い出してみますと、自分も20代の頃何気なく発した言葉に、先輩が苦い顔をしたことを思い出すのです。
* さらに、今の若者が本当に「教養」がないのだとしても、今の若者でないオジサンやオバサンはiPhoneで動画編集できないのであり、Pythonでプログラミングできないので、同様に「教養」がないのです。要するに「教養」が求める質が変容しているのです。