今回は、『「倫理の問題」とは何か』(佐藤岳詩、光文社新書)の【第4章】前半3分の1をご紹介します。(何しろ1つの章に内容が詰まっているので、分割せざるをえないのです。)
細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「規範」のように、ある用語に「 」を使用することがあります。)なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」や「感想」です。
【第4章 倫理の問題と規範的な言葉】(前半3分の1)
本章で問われるのは「倫理の問題で使われている言葉は何を意味しているのか」です。
もう少し具体的に言うと、「規範的な言葉(「~しなければならない」)」の意味が問われます。
まず取り上げられるのが、「態度表現としての規範的な言葉」です。
この言葉は「話し手の感情や態度を表現するために用いられ」ます。
次に、これと対比して「助言としての規範的な言葉」が取り上げられます。
この言葉は「聞き手に助言するために用いられ」ます。
* ここで本書では「フレーゲ・ギーチ問題(Frege-Geach Problem)」が取り上げられます。
の問題について、少し詳しく説明します。
* これは、道徳的発話や倫理的言明の意味を説明する際に、非認知主義(non-cognitivism)や表現主義(expressivism)という倫理学の理論が直面する哲学的問題です。非認知主義や表現主義は、道徳的判断(例:「殺人は間違っている」)は事実を記述するのではなく、話し手の感情、態度、または命令を表現するものだと主張します。
* フレーゲ・ギーチ問題は、道徳的言明が複雑な文脈(特に論理的推論や条件文)で使われる場合に、非認知主義がその意味を適切に説明できないという点を指摘します。具体的には、以下のようなケースで問題が顕在化します。
埋め込み問題(Embedding Problem):
道徳的言明が条件文や否定などの論理的構造に埋め込まれる場合、表現主義ではその意味を一貫して説明するのが難しいです。例えば「もし殺人が間違っているなら、強盗も間違っている」という文を考えてみましょう。表現主義によれば、「殺人は間違っている」は感情を表現するだけです。しかし、条件文全体は感情を直接表現しているわけではなく、論理的な関係を述べています。この場合、表現主義は条件文の意味をどうやって説明するのかが問題となります。
論理的整合性:
道徳的言明は推論の中で一貫した意味を持つ必要があります。例えば:
前提1:「殺人は間違っている」
前提2:「もし殺人が間違っているなら、強盗も間違っている」
結論:「強盗も間違っている」
この推論は論理的に有効ですが、表現主義では「殺人は間違っている」が単なる感情表現だとすると、論理的推論の中でどのように一貫した意味を持つのか説明が難しいのです。
* フレーゲは、文の意味は主張(assertion)される場合と非主張(unasserted)文脈(例:条件文の「もし」節)で同じでなければならないと主張しました。しかし、表現主義では、道徳的言明が主張される場合(感情の表現)と、条件文などで主張されない場合(論理的役割)とで意味が異なるように見えるため、問題が生じます。
* 表現主義者や非認知主義者はこの問題に対処するためにさまざまなアプローチを提案しています。
意味の再定義:
道徳的言明の意味を、感情表現だけでなく、推論やコミットメントの構造として再解釈する(例:ブラックバーンやギバードの準実在論)。
規範的コミットメント:
道徳的言明は、話し手がある種の規範的態度や行動指針にコミットしていることを示すと考える。
論理の再構築:
表現主義に基づく新たな論理体系を構築し、道徳的言明が論理的推論でどのように機能するかを説明する。
さて、本書に戻りましょう。
「態度表現としての規範的な言葉」についてですが、本書では最初に「これは極端なことを言えば、規範的な言葉は好き嫌いのような気持ちの表明だという考え方です。」と述べています。
しかし、引き続き、「何か、好き嫌いのような感情的な反応以上の何かを表している」、 「さらに言えば、このことは、誰かの振る舞いを悪いと言うときには、何らかの根拠や正当化が必要だと、私たちが考えていることを示しています。」とも付け加えています。
* 結論は「態度表現としての規範的な言葉」は単なる感情の表出にはとどまらず、そういう態度を取るべき「根拠」を求めているということです。
次に「助言としての規範的な言葉」を検討してみましょう。
本書から引用します。
「 助言をすることの一つのポイントは、それが本当に助言であるならば、基本的には話し手自身がその中身を(自分または聞き手にとって、あるいはそれ自体として)重要なことだと本当に信じた上での示唆でなければならない、ということがあります。」
では、「態度表現としての規範的な言葉」と「助言としての規範的な言葉」はどう異なっているのでしょうか。
本書では以下の2点が指摘されています。
1点目は、「自分の気持ちを分かってほしい」という「態度表現としての規範的な言葉」とは異なり、「助言としての規範的な言葉」は「聞き手を一定の仕方で行為する方向へ導こうとする、という側面」があるという点です。「これは、倫理学の世界では規範的な言葉の「行為指導性」などと呼ばれています。」
2点目は、「助言としての規範的な言葉」は「一般に一定の規準や根拠に基づく」という点です。
著者は次のような補足をしています。「そのように考えるなら、私たちは向き合った相手と規範的な言葉を交わし合うことで、常に様々な説明や応答をする責任を課しあっていると考えることができます。」
* 今回の復習です。「規範的な言葉」の2つの用法を表にまとめてみました。(スマホなどで表全体が表示されな場合は、スクロールしてください。)
| 特徴 | 態度表現としての規範的言葉 | 助言としての規範的な言葉 |
| 目的 | 話者の感情や価値観を表現する | 聞き手の行動や判断を指導する |
| 性質 | 主観的・感情的(非認知主義的) | 規範的・指令的(実践的) |
| 焦点 | 話者の内心の表明 | 聞き手の行動や規範の遵守 |
| 例 | 「差別は許せない!」 | 「差別的な発言をしてはいけない」 |
| 理論的背景 | 感情主義、表出主義 | 義務論、功利主義など |
以下、表の補足です。
「態度表現としての規範的な言葉」
・聞き手に特定の感情や態度を喚起することを目的とする場合がある。
例えば、「動物を傷つけるのは残酷だ」と言って、聞き手に同情や反発を促す。
・事実を主張するものではなく、評価や感情の表明なので、客観的な「正しい/間違っている」の判断には直接結びつかない。
「助言としての規範的な言葉」
・助言は文脈や聞き手の状況に応じて適切性が変わる。例えば、「困っている人を助けるべきだ」は、具体的な場面での行動指針として機能する。
・話者の主観的態度の表明よりも、聞き手の行動や意思決定に直接影響を与えることを重視する。
「その他」
・同じ言葉(例:「~すべき」)が、文脈によって態度表現か助言かを判断される。
例えば、感情的な口調で発せられれば態度表現、具体的な行動指針として発せられれば助言と解釈される。
・倫理学では、規範的な言葉の意味について、認知主義(規範的発言は真偽を持つと考える)や非認知主義(真偽を持たず感情や命令を表現する)の立場で議論が分かれる。態度表現は非認知主義、助言は認知主義や規範倫理学に親和性がある。