今回は、『「倫理の問題」とは何か』(佐藤岳詩、光文社新書)(リンク)【第4章】を3分割したものの最終回です。

細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「  」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「規範」のように、ある用語に「  」を使用することがあります。)なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。

【第4章 倫理の問題と規範的な言葉】(その3)

今までの復習をしておきましょう。規範的な言葉には次の二つの用法があるのでした。

規範的な言葉の用法① 「感情や態度の表現」
規範的な言葉の用法②「助言や推奨」

その上で、「動機づけの外在主義」者は「規範的な事柄自体には人を動かす力はない」と考えることが指摘されました。
実際、外在主義者の中には、①は認めても、②は認めない人たちもいます。

その代わりに彼らが主張するのが、規範的な言葉の用法③「事実の記述」です。本書から引用します。

「事実の記述という用法が顕著なのは、純粋な評価を表すために規範的な言葉を用いる場合です。ここで言う「純粋な」というのは、評価をすることで、何か別のことにつなげようとしているわけではないということです。」
「したがって、自分の好き嫌いを表明しているのでもなければ、誰かに何かをさせようとしているのでもなく、純粋に対象がもつ客観的評価を記述して伝えるのが、規範的な言葉の意味だというわけです。」
「あくまで(規範的な言葉の)目的は情報提供であって、それを聞いて何をするかは聞き手に委ねられています。」

* 本書では「動物の肉にはタンパク質が含まれている」という発言を例に挙げて、上記の「事実の記述」用法について論じています。しかし、そもそもこの例は、規範的な言葉ではありません。ですからそもそも著者の説明は成立しないと思います。

* ここで「事実の記述」としての規範的言葉の具体例を本書とは別に挙げてみましょう。

例1:法律に基づく記述発言:「盗むことは間違っている。」

この発言は、「現在の法制度において、盗むことは違法である」という事実を記述していると解釈できます。
規範的言葉「間違っている」は、法律や社会規範という客観的な枠組みに基づく事実を指します。

例2:功利主義に基づく記述発言:「嘘をつくべきではない。」

功利主義の観点から、「嘘をつくと社会全体の幸福が損なわれる傾向がある」という事実を記述しているとみなせます。
ここでの「すべきではない」は、幸福の最大化という客観的な基準に基づく事実を反映します。

例3:文化的な規範の記述発言:「親に敬意を払うべきだ。」

この発言は、「特定の文化や社会において、親に敬意を払うことが規範として確立されている」という事実を記述していると解釈できます。この場合、規範的言葉は文化的・社会的慣習という客観的な状況を指します。

* 動機づけの外在主義者は、規範的判断自体には人を動かす力がないと考えます。そのため、「事実の記述」を強調することで、規範的言葉は単に客観的な事実や規範体系を述べるものであり、行動を促す力は外部の動機(例:罰への恐れ、報酬への欲望)に依存すると主張します。

例えば、「盗むことは間違っている」という言葉が何を表すか、各用法別にまとめてみましょう。

①「感情や態度の表現」では、「盗むことは間違っている」は話者の否定的な感情を表します。
②「助言や推奨」では、同じ発言が「盗むのをやめなさい」という行動の推奨を意味します。
③「事実の記述」では、客観的な規範や状況(例:法律(捕まるのが怖い)や社会規範(社会的に受け入れられたい))を指します。

本書に戻ります。

「(規範的な言葉の用法は記述であると考えるなら、)(中略)規範的な言葉から行為指導性はすっかり取り去ってしまっていいでしょうか。」

以上の問いへの回答の一例として次のように述べられます。

「(中略)結局のところ、私たちが良い悪いについての情報を提供するのは、相手が良いことをして、悪いことを避けようという気持ちをもっていると期待しているからであり、それを通じて、その悪い行為をしないよう期待しているからである」

* これではまた②に戻ってしまうことにはならないでしょうか?注意が必要です。

ここで紹介されるのが、アメリカの哲学者、倫理学者であるトマス・スキャンロンです。

彼は「(中略)あるものが規範的であるとは理由があるということだ」という立場を取ります。

本書から引用します。

「これを前述の部分とつなげると、規範的な言葉は理由があるということと、理由であるような事実についての情報を伝えるということになります。」
「動物の肉を食べることは悪い」という規範的な言葉は、「あなたには動物の肉を食べることを避ける理由がある」ということを意味しています。」

大切なことは、スキャンロンはここで「規範的な言葉の行為指導性」を認めていないということです。
つまり、理由をいくら示しても、その理由を認めた上で肉を食べ続ける人がいるのです。

しかしスキャンロンは「しかし、それでも、もしその人が合理的な人なら理由があることをするはずだ」と主張するのです。なかなか分かり難いですね。

スキャンロンの考えを著者は以下のようにまとめます。

「スキャンロンの考えでは、私たちは規範的な言葉を用いて理由に関する情報を記述することで、お互いに理由があると信じるものを伝えあっています」
「そのため、理由というものを使って間接的に、相手を特定の行為へ導くのが、規範的な言葉ということになります。」

* 相手を特定の行為へ導くとは「行為指導性」ではないのでしょうか。結局③は②へ還元されてしまうのでしょうか。
  こうした疑問に答えるために、ここで「規範的な言葉」「理由」「事実の記述」をキーワードに、スキャンロンの考えを
  詳しく調べてみましょう。

* スキャンロンの倫理学における立場は、彼の契約主義(contractualism)と「理由(reasons)」に基づく規範性の理論に特徴づけられます。

  1. スキャンロンの規範性の定義:「あるものが規範的であるとは理由があるということだ」

スキャンロンは、規範的な判断の本質を「理由」と結びつけます。
規範性とは、特定の行動や信念を正当化する理由が存在することに還元されると考えます。

〈規範性の意味〉
  ・規範的な命題は、単なる感情の表現や命令ではなく、その判断を裏付ける理由を指します。
  ・例えば、「殺人は間違っている」は、「殺人を行わない理由が存在する」という事実を記述します。
   これは、殺人が他者に害を及ぼすことや、社会的規範に反することなど、客観的に考慮すべき理由に基づいている
   のです。
  ・スキャンロンの規範性は、理由を通じて客観的な基準に根ざしており、非認知主義(規範的判断を感情や態度の
   表現とする立場)や、規範的判断自体に動機づけの力が内在するとする内在主義とは異なります。

〈契約主義との関連〉
  ・スキャンロンの契約主義では、道徳的規範は「誰もが合理的に拒否できない原則」に基づきます。
   これらの原則は、合理的な人が受け入れるべき理由によって裏付けられます。
  ・例えば、「約束を守るべきだ」という規範は、「約束を守ることが、相互の信頼や協力に基づく社会を維持する理由と
   なる」という事実によって正当化されるのです。

  1. 「規範的な言葉の行為指導性」を認めない理由

スキャンロンは、規範的な言葉が直接的に「行為指導性」(action-guiding)を持つ、つまり、それ自体で人を動機づけて行動させる力を持つとは考えません。この点は、動機づけの内在主義への批判と関連します。

〈行為指導性の否定〉
  ・規範的判断は、それ自体では人を動かす力を持ちません。単に「~すべき」と言われても、その判断が自動的に行動
   に結びつくわけではありません。
  ・スキャンロンは、規範的判断の役割は「理由を提示すること」であり、直接的に行動を命令したり、動機づけたりす
   ることではないと主張します。これは動機づけの外在主義に近い立場で、規範的判断が行動を促すには、外部の動機
   が必要だと考えます。
  ・例えば、「慈善団体に寄付すべきだ」という規範的判断は、「寄付する理由がある」という事実を述べますが、それだ
   けで人が寄付する動機を持つとは限りません。動機づけには、例えば「困っている人を助けたい」という個人的な価
   値観が必要となるのです。

〈なぜ行為指導性を認めないか〉
  ・スキャンロンは、規範的判断の力は「理由の提示」にあり、動機づけは個人の心理状態や外部要因に依存すると考え
   ます。これは、規範的判断を客観的な事実(理由)に基づくものとして捉え、動機づけのプロセスを分離する立場で
   す。
  ・この点で、彼は規範的言葉の用法として「事実の記述」を重視し、直接的な「助言や推奨」や「感情や態度の表現」 
   は異なる役割を強調します。

  1. 「合理的な人なら理由があることをするはずだ」という主張

スキャンロンは、規範的判断自体に直接的な行為指導性がなくても、合理的な人であれば、提示された理由に基づいて行動するはずだと主張します。これは彼の理論における合理性(rationality)の概念に深く結びついています。

〈合理性と理由〉
  ・スキャンロンにとって、合理的な人とは、理由を適切に認識し、それに基づいて行動や信念を調整する能力を持つ人
   なのです。
  ・例えば、「殺人は間違っている」という規範的判断が、「殺人を行わない理由」を提示する場合、合理的な人はその理
   由を理解し、殺人を避ける行動を取るはずだと考えます。
  ・この主張は、規範的判断が直接的に動機づけの力を持たなくても、理由を認識する合理的な主体にとっては、行動の
   指針となり得ることを示します。

〈動機づけの外在主義との関係〉
  ・スキャンロンの立場は、動機づけの外在主義に近いですが、完全に一致するわけではありません。外在主義は、規範
   的判断が行動を促すには外部の動機が必要だと主張しますが、スキャンロンは、合理的な人が理由を認識するだけ
   で、動機づけが成立しうると考えます。
  ・ただし、この「合理的な人」という前提が重要で、実際にはすべての人が合理的に振る舞うわけではないため、規範
   的判断が必ずしも行動に結びつくとは限りません。

* いやいや、やはり難しいですね。
  この後本書では戸田山和久らによる「概念工学」という興味深いアプローチが紹介されますが、ここでは割愛します。

本章の最後で問われるのは、「道徳と規範的なもののかかわりはどのようになるのか」という問いです。
なぜなら、規範的な言葉には道徳的なものと無関係なものもあるからです。

「義務としての道徳は基本的に、様々な理由のなかでもきわめて強力なものとしての地位を与えられる傾向にあります。」
「しかし。(中略)、現代の倫理学では道徳は必ずしも義務ばかりにかかわるものとは考えられていません。」

たとえば、バーナード・ウィリアムズは、「義務はあくまで倫理の論題の一つでしかない。」と述べました。
これを少し詳しく研究してみましょう。

  1. 文脈:ウィリアムズの倫理哲学

彼は、倫理的思考が単に「何をすべきか(義務)」に焦点を当てるのではなく、人生の意味、個人の価値観、感情、文化、特定の文脈など、より広い視野で捉えられるべきだと主張しました。

  1. 「義務」の位置づけ

ウィリアムズにとって、「義務」とは、カントの定言命法や功利主義の「最大多数の最大幸福」のような、倫理的行動を導く規範的な枠組みを指します。しかし、彼は以下の理由で義務を倫理の中心に据えることに異議を唱えました:

・過度な抽象性:義務論や功利主義は、具体的な人間の状況や感情を無視し、普遍的な規則や計算に基づいて行動を判断します。これにより、個人の動機や文脈が軽視されるのです。
・人間の生活の複雑さ:倫理的判断は、義務だけでなく、愛、友情、忠誠心、個人的なプロジェクトなど、人生を構成する多様な価値観に関わります。義務だけではこれらを十分に説明できません。
・道徳的葛藤:ウィリアムズは「道徳的ジレンマ」や「悲劇的状況」(例:二つの義務が衝突する場合)を重視し、義務論がこうした葛藤を単純化しすぎると批判しました。たとえば、誰かを助ける義務と家族を守る義務が対立する場合、単純な規則では解決できません。

  1. 「倫理の論題の一つでしかない」の意味

ウィリアムズは、倫理的思考において以下のような要素も考慮すべきだと考えました:

・個人の主体性:人は単に規則に従う機械ではなく、独自の価値観や人生の目的に基づいて行動します。倫理は、個人の「生き方」や「何を大切にするか」にも関わるのです。
・文化的・歴史的文脈:倫理的価値観は、時代や文化によって異なります。義務論のような普遍主義は、この多様性を無視する傾向があるのです。
・感情と動機:倫理的行動は、義務感だけでなく、愛、共感、怒りなどの感情からも生じます。たとえば、友人を助ける動機は「義務」ではなく友情や愛情かもしれません。

ウィリアムズは、倫理学が「義務」を中心に構築されると、こうした多様な要素が見落とされ、倫理が貧弱で非人間的なものになると警告しました。

  1. ウィリアムズの目指した倫理学

ウィリアムズは、倫理学が「システム化」や「普遍化」を目指すこと自体に限界があると考えました。彼は、倫理的思考は人間の生活の複雑さを反映し、個々の状況や価値観に敏感であるべきだと主張しました。このため、義務を倫理の中心に据えるのではなく、以下のような問いを重視しました:

・「どのような人生を生きるべきか?」
・「どのような人間でありたいか?」
・「自分の価値観やプロジェクトにどう忠実でいられるか?」

このようにして本書は、次章(最終章)で「道徳(あるいは倫理)とは何か」という第1章の問題に立ち返るのです。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です