今回は、『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』(白井聡、講談社現代新書)の【はじめに】と【第1章】の前半をご紹介します。

細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。
「  」は原則引用部分です。
(ただし引用でなくても、「資本」のように、ある用語に「  」を使用することがあります。)
なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。

* 私はマルクスとは縁が遠く、柄谷行人『マルクスその可能性の中心』しか読んだことありません。もっともこれはマルクス論ですらないですね。そういうわけで、初歩的なミスがありましたらぜひお教えください。この場で訂正いたします。

【はじめに なぜいま、マルクスなのか?】

著者はまず、マルクスによる分析が「資本主義は際限なく深化(進化ではありません)するというものであった」ことを確認した上で、以下のように述べます。

「本書で試みたいのは、こうした資本主義のもたらす危機が「社会問題化」する手前の次元を、マルクスの理論によってとらえることだ。われわれは、「社会」に目を向け、そこに「資本主義の問題」を見出す以前に、実はわれわれ自身が、つねにすでに資本主義によって深く深く搦めとられ、身も心も資本主義のロジックによって浸透されているのではないだろうか。」

これは次のように言い換えられます。

「本書でとらえたいのは、資本主義がわれわれ自身にどう浸透するのか、という問題である。言い換えれば、われわれの意識や感性、感覚、価値観、思考といった、普通われわれ一人一人が「自分のもの」であると信じて疑わないもののなかに、資本主義のロジックがどのように入り込んでいるのか、あるいはもっと言えば、それらを資本主義のロジックが形づくりさえしているのか、われわれ自身のなかで資本主義がどう深化しているのか──それをマルクスの理論を通じて検証することを通じて、マルクスの理論の最も重要な部分の理解を可能にすることを、本書では目指すのである。」

* 出だしからとてもスリリングな問題設定ですね。読むのが楽しみです。

【第1章 思想家マルクスの誕生】

まず思想家としてのマルクスが「ヘーゲル左派」あるいは「青年ヘーゲル派」と呼ばれる思想潮流の一員となっていたことが確認されます。
「ヘーゲル左派、青年ヘーゲル派と呼ばれた思想家たちは、ヘーゲルの思想に「より多くの革命を」求めた人々だった。」

* 「より多くの革命を」だけでは分かりませんので、ヘーゲル左派の思想を簡潔にまとめます。

(1) 弁証法の応用:既存の権威や伝統を批判的に分析し、変革を促します。
(2) 宗教批判:キリスト教を人間の意識や欲望の投影として解釈し、宗教の超越性を否定します。
(3) 自由と進歩:保守的な政治体制や宗教的教条に反対し、自由主義的・民主主義的な理想を重視しま
す。
(4) 疎外論の発展:人間が自らの本質を社会制度や宗教に「疎外」していると批判し、この疎外を克服
し、人間性を回復することを目指します。

とりわけマルクスが影響を受けた思想家は、フォイエルバッハでした。マルクスは『経済学・哲学草稿』において、フォイエルバッハ由来の「疎外」の概念を、資本主義社会のもとでの労働の分析に適用しました。このことを本書では以下のようにまとめています。

「その要点は、本来人間は労働によって自らの生活に必要なものをつくり出す、つまり労働は人間の生活を豊かにするはずのものであるのに、資本主義社会では労働力が商品化され、労働過程とその生産物が利潤追求の道具となるために、働く者は自らの労働の主人でなくなってしまう、というところにある。(後略)」

「この観点が重要なのは、資本主義の発展による生産力の向上によって、人類は大体において物質的に豊かになるのだからそれでよいではないか、という近代の人間の多くが抱いている思い込みを、根源から批判するものであるためだ。」

この後マルクスは『フォイエルバッハに関するテーゼ』『ドイツ・イデオロギー』において、「フォイエルバッハ、さらにはヘーゲル左派一般の立場に対する批判的な視点」を確立します。その批判の要点は以下です。

フォイエルバッハの「人間」の概念は抽象的で、人間を具体性の位相からとらえていない。
人間を現実に人間が生きている社会的関係の中でとらえなければならない。

* もう少し具体的に書きますと、マルクスは、

(1) 疎外の原因を物質的・歴史的条件に求めるべきだと主張します。
(2)「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。大切なのは世界を変革することだ」と
強調します。
(3) 人間の本質を歴史的・社会的な関係の中で変化するものと見なし、階級闘争や生産様式の分析を重
視します。

また自分も属していたヘーゲル左派に対しては、「観念上の闘争が現実の闘争と取り違えられている」と自己批判し、『資本論』において、「逆立ちしているヘーゲルの弁証法を足で立たせる」と宣言するにいたるのです。

* マルクスのヘーゲル左派に対する批判を具体的にまとめます。マルクスは、

(1) ヘーゲル左派の批判が現実の物質的・経済的条件を軽視している、と指摘します。
(2) 哲学が単なる解釈や批判を超え、革命的な実践と結びつくべきだと主張します。
(3) 宗教の根源を社会・経済的条件に求め、それを変革しない限り宗教批判は不十分だと考えます。
(4) 社会の変化は、観念ではなく生産様式や階級闘争といった物質的条件によって駆動されると主張し
ます。

マルクス=エンゲルスが「イデオロギー」という語を用いて示した洞察の核心は、「人間の精神的活動の産物である観念、あるいは活動そのものが、物質的なものによってとらわれている」という点にあります。

「我々は自由に思考しているつもりでも、自らの置かれている特定の歴史的文脈から自由ではない(被拘束性)、ということを自覚すべきである」のに、それを忘却している思想が「イデオロギー」と批判されるのです。

それでは「観念的急進主義」にとって代わる観念とは、いったい何でしょうか?
この問いに答えようとするのが、『共産党宣言』です。

「その(『共産党宣言』の)歴史観は、ヘーゲル弁証法の唯物論的応用であったと言える。」

* 「唯物論的応用」とは、ヘーゲルの弁証法を、観念論から唯物論に転換し、社会や歴史の変化を物質的・経済的条件に基づいて説明するアプローチのことです。ヘーゲルは、歴史は「絶対精神」の自己展開であると考えましたが、マルクスは、歴史は生産関係や階級闘争の矛盾による発展であると考えました。

* 正直ここまで読んできて、「マルクス読んだことないのに、なぜか書いてあること全部知っているし、マルクスの主張、基本的にそうだよなあ。」と思えるのは、マルクスの考え方が知らず知らず刷り込まれてきたからなのでしょうね。

さて、資本主義においては、ブルジョア階級が従来の封建的、家父長的な社会的諸関係を破壊したわけですが、これに関して本書には、読み飛ばすと見落としてしまいそうなことが書いてあります。

それは、「(マルクスは)ブルジョア階級が支配するものとなった資本主義社会の革命性を強調する。」「ここで確認しておきたいのは、マルクスが資本主義の持つこの一種の破壊性に、ヘーゲルの構想した理性と自由が実現する場としての歴史、つまり歴史の弁証法的動態性の原動力を見ていたことだ。」という文です。

* このサイトでもヘーゲルの流動性については取り扱いました(リンク)。それにしてもマルクスは資本主義を単純に批判したわけではなく、そこにある種の「希望」を見出していたとさえ言えるかもしれません。

「しかし、ヘーゲルの弁証法的歴史観は、重要なヴィジョンを含んでいた。それは、ある一つの社会は、外的な力によって変化するのではなく、自己内部の矛盾によって変化するという観方である。」

「自己内部の矛盾によって」とはすなわち、人為的には資本主義を崩壊させることはできないという認識です。では、資本主義を崩壊に至らしめる人為を超えた革命とは何か、これがマルクスの追い求めるテーマとなります。

* マルクスは資本主義社会がその内部に抱える矛盾によって、歴史的発展の過程で必然的に次の社会段階へと移行すると論じました。彼の歴史的唯物論では、社会の変革は個人の主観的な意志や「打倒しろ」という呼びかけよりも、生産力と生産関係の矛盾がもたらす客観的な歴史法則によって進むと考えられています。したがって、マルクス自身は「資本主義を打倒しろ」と直接的に扇動するよりも、資本主義の構造的問題を分析し、その矛盾が社会変革を必然的に引き起こすと予測しました。

また本書から引用します。

「資本主義は間違いなく人間社会が生み出したものであるにもかかわらず、人間の意思を超えて作用するシステムにほかならない。」

「しかし、資本主義の発展の論理の貫徹に人間の無力を見ることは、『共産党宣言』の結論ではない。資本主義の内的矛盾のみが資本主義を破壊すると語る一方で、マルクスは労働者階級をその矛盾の具現と見た。」

* マルクスは、資本主義が自らの内部に抱える矛盾(例:資本と労働の対立、過剰生産、利潤率の低下傾向など)が、その崩壊の原因となると考えました。これらの矛盾は、資本主義の経済システム自体に内在するものであり、外部の要因ではなく、システム自体の論理によって破壊に導かれるとマルクスは主張しました。

* マルクスは、労働者階級(プロレタリアート)を、資本主義の内的矛盾を体現し、それを乗り越える主体と見なしました。理由は以下の通りです。

(1) 労働者階級は、資本主義下で自らの労働力を売り、生産手段を持たないため、資本家による搾取と
疎外に直面します。これが資本主義の矛盾の具体的な現れです。
(2) 労働者は、搾取や貧困化を通じて階級意識を形成し、資本主義の矛盾を自覚します。この意識が団
結や革命的行動につながるのです。
(3) 変革の主体:マルクスは、労働者階級が資本主義の矛盾を解決する力を持つと信じました。彼らが
団結し、革命を通じて生産手段を共有化することで、資本主義を打倒し、新たな社会を構築すると
考えたのです。

* マルクスにとって、資本主義の崩壊は単なる経済的破綻ではなく、その矛盾を体現する労働者階級の意識的・実践的な行動(革命)によって実現されます。労働者階級は、資本主義の搾取構造の中で抑圧されつつも、その矛盾を克服する主体として歴史的役割を果たすのです。この視点は、マルクスの唯物史観と弁証法に基づき、経済的・社会的変革を階級闘争を通じて説明するものです。

* 一方では「資本主義は内部矛盾によってのみ崩壊し、人為的に打倒はできない」としておきながら、他方では「労働者階級が団結して資本主義を打倒する」と言うのは、一見すると矛盾しているように見えるかもしれませんが、マルクスの理論ではこれらは補完的な関係にあります。

* マルクスの唯物史観では、資本主義の崩壊は、その経済システムに内在する矛盾(例:資本と労働の対立、過剰生産の危機、利潤率の低下など)によって必然的に引き起こされるとされます。しかし、この「崩壊」は自動的・機械的なプロセスではなく、歴史的・社会的プロセスとして理解されます。つまり、内的矛盾が資本主義を不安定化させ、崩壊の条件を成熟させますが、その最終的な実現には労働者階級の意識的・実践的な行動(革命)が必要不可欠なのです。

内的矛盾の役割:
資本主義の矛盾(例:労働者の搾取や貧困化、経済危機の頻発)は、システムの不安定さを増し、労働者階級に階級意識を育む土壌を提供します。これにより、労働者は資本主義の不公正や抑圧を自覚し、変革の必要性を感じるようになります。

労働者階級の役割:
労働者階級は、資本主義の矛盾を「体現」する存在(搾取される主体)であり、同時にその矛盾を「解決」する主体です。彼らの団結と革命的行動が、資本主義を最終的に打倒し、生産手段の共有化(社会主義・共産主義)を実現する具体的な力となります。

* マルクスにとって、資本主義の崩壊は「内的矛盾」と「労働者階級の行動」の弁証法的相互作用によって起こるのです。内的矛盾がなければ労働者階級の革命的意識は生まれず、労働者階級の行動がなければ矛盾は単なる経済的混乱に終わり、システムの変革には至りません。

* 具体例で考えてみましょう。たとえば、資本主義下での経済危機(過剰生産や失業の増大)は、内的矛盾の一例です。この危機が労働者の生活を悪化させ、階級意識を高め、労働組合や革命運動の結成につながります。マルクスは、このような危機が単にシステムを弱体化させるだけでなく、労働者階級が団結し、生産手段を奪取する契機となると考えました。革命は、内的矛盾が作り出した「客観的条件」と、労働者の「主観的行動」の一致によって成功します。

* マルクスの弁証法では、歴史の進展は「必然性」と「主体性」の統一です。資本主義の矛盾は「客観的必然性」を生み出し、労働者階級の革命は「主体的実践」を通じてその必然性を現実化します。このため、「内的矛盾による崩壊」と「労働者階級の打倒」は、プロセスにおける異なる局面を指しており、矛盾しません。

さて、この後本書では「二段階革命論」、「プロレタリア独裁」、「資本主義の墓堀人」などが取り上げられますが、これらはすべて次回に扱うこととします。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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