今回は、『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』(白井聡、講談社現代新書)の【第2章】(その3)をご紹介します。細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「  」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「剰余価値」のように、ある用語に「  」を使用することがあります。)なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。

【第2章 『資本論』の世界】(その3)

第2章の後半では「資本の定義」と「剰余価値」について述べられます。
たとえば手持ちの資金で何かの商品を購入し、それをそれより高い金額で売却したとすれば、その価値の増加分を「剰余価値」と呼び、それが繰り返される「不断で無制限の価値増殖運動が、「資本」であると定義される」のです。

* マルクスにとって資本は単なる「お金」や「生産手段」ではありません。資本とは価値が自己増殖する運動形式であり、特に「貨幣が商品を媒介にして再びより大きな貨幣へと転化する運動」だとされます。

* 交換の単純な循環は C-M-C(商品→貨幣→商品)(M=Money(資金)、C=Commodity(商品))で、人は生活手段を得るために商品を売り、そのお金で別の商品を買います。これに対して資本の運動は M-C-M’(貨幣→商品→より多くの貨幣)です。M(貨幣)が出発点で、C(商品=労働力と生産手段)を購入し、それを生産過程で用いて新しい商品をつくり、それが再びM’(増加した貨幣)として戻ってくるのです。この差額 M’ – M が「資本の自己増殖」の本質です。したがって、資本とは「価値の自己増殖運動を行う価値そのもの」として定義されます。

* 剰余価値(Surplus Value)は、資本主義的生産の秘密を解く中心概念です。商品の価値はその生産に必要な社会的に必要な労働時間で決まる、というのがマルクスの前提です。資本家は労働者の「労働力」を商品として購入します。このとき労働力の価値は、それを維持・再生産するのに必要な生活手段の価値(賃金)です。

* しかし、労働者が実際に労働する時間は、労働力の価値を再生産するのに必要な時間を超えて続けられます。この超過分が剰余労働であり、それが商品に結晶したものが剰余価値です。したがって剰余価値とは、労働者が生み出しはしたものの賃金としては支払われず、資本家に無償で吸収される価値を指します。

本書から重要な部分を引用します。

「価値増殖が可能となるのは、何らかの「差異」がそこに存在するからである。」
「ここで注目すべきは、この過程で行われているのは、すべて等価交換である、ということだ。」
「言い換えれば、具体的有用労働によって生産される価値が、労働力の交換価値を上回ることによって、剰余価値が生まれる。」

* ここで言う「差異」とは、資本が商品を買い、その商品を使うことで生み出せる価値が、購入時の価値を上回るという違いです。普通の商品同士の交換は「等価交換」であり、そこから価値は増えません。しかし資本家が購入する特殊な商品=労働力は違います。労働力は「使用」されることで、購入時点での交換価値以上の新しい価値を生み出す可能性があるのです。つまり「差異」とは、労働力の価値と、それを使用することで生産される価値との差を指しています。

* 「等価交換」ということで述べられているのは、資本主義は原理的に詐欺や不正な交換に依存しているわけではないということです。労働力は市場で正当な価格(=労働者の生活維持に必要な労働時間に対応する価値)で買われます。資本家も労働者も「自由で平等な交換者」として契約を結んでいます。にもかかわらず、結果として資本家が剰余価値を得るのは、労働力という商品の特性ゆえです。ここが、単なる「搾取=不正」論ではないマルクスの独自性です。

* まとめると、次のようになります。

労働力の交換価値=労働者が自分の生活を維持するのに必要な価値。
労働力の使用価値=その労働力を実際に働かせることで生産できる新しい価値。

ここでマルクスは、剰余価値を二種類に分けて分析します。すなわち「絶対的剰余価値」と「相対的剰余価値」です。

その前にマルクスは「必要労働時間」と「剰余労働時間」を区別します。前者は、「労働力の交換価値=賃金分の価値を生産している時間」です。後者は、「賃金分以上の価値を生産するが支払いを受けない時間」です。ここでマルクスが指摘したのは、「資本主義社会における賃労働は、自分のための労働と他者のための労働が(中略)区別できないかたちで一体化している」ということでした。

さて、前のトピックに戻ります。「絶対的剰余価値」とは、労働時間を延長することによって得られる剰余価値を指します。これが現在の資本主義的世界でも生き残っていることは明白です。
一方、「相対的剰余価値」とは、総労働時間のうちの剰余労働時間の部分を伸ばすことによって得られるものです。

本書から引用します。

「重要なのは、マルクスが相対的剰余価値の一種として「特別剰余価値」という概念を提示することにより、資本主義社会が相対的剰余価値の獲得を目指して生産力拡張、生産性向上の永久運動に駆り立てられる必然性を明らかにしてしている点にある。」
「マルクスは「特別剰余価値」を技術革新によって得られる時限的な剰余価値である、と定義する。」
「特別剰余価値は、この現在の価値と未来の価値の差異から生まれる」

* 「絶対的剰余価値」「相対的剰余価値」「特別剰余価値」という用語を整理してみましょう。

  1. 絶対的剰余価値:労働時間の延長によって生み出される剰余価値です。生産力の水準にかかわらず、単純に「働かせる時間を増やす」ことに依存します。資本主義初期に典型的でしたが、いまだに生き残っています。
  2. 相対的剰余価値:労働時間の長さを変えずに、生産力の上昇によって労働者の必要労働時間を短縮することで生まれる剰余価値です。「相対的」とは、労働時間全体に対する剰余労働部分の割合が相対的に増えることを意味します。資本主義が発展するにつれて中心となる形態です。
  3. 特別剰余価値(超過利潤):個別資本が、平均的な生産条件を超えて生産力を高めることで、一時的に得る剰余価値です。ある資本家がより効率的な機械や方法を導入すれば、同じ労働時間でより多くの商品を生産できます。しかし市場価格は依然として「社会的に必要な労働時間」に基づいて決まるため、その資本家は競争相手よりも安く売っても利益を確保でき、余分な利潤=特別剰余価値を得られます。この価値は持続的ではなく、競争を通じて他の資本にも新技術が普及すれば消滅します。技術革新を駆動する重要な要因ともなります。

また本書から引用します。非常に重要な指摘です。

「以上のことから明確になるのは、資本主義社会が「絶えざる生産力の増大、生産力の向上」という命題にとり憑かれる本質的な理由は、資本自身の内在的衝動、すなわち価値増殖の欲求にほかならない、ということだ。」
「資本が欲求不満をつくり出すようになる社会、それが消費社会である。」

この章の最後で著者はこう述べます。

「マルクスの資本概念の最大の特徴、世界把握への最大の貢献は、(略)、「資本の他者性」を明らかにしたところにある。」
「そしてどこかのある一点で、矛盾が爆発し、「資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る、収奪者が収奪される。」」

* 「資本の他者性」とは何でしょうか。マルクスは『資本論』のなかで、資本を単なる「物」や「財産」としてではなく、人間の社会的な関係が「物(貨幣や機械など)」の姿をとって人間を支配する形態としてとらえました。このとき、資本は人間自身の労働や関係から生まれたにもかかわらず、人間にとって外在的で、異質で、支配的な「他者」として立ち現れるわけです。これが「資本の他者性」と呼ばれるものです。

* 「・・・収奪者が収奪される」の部分は『資本論』からの引用です。この一節「資主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」は第1巻の最後の章「いわゆる本源的蓄積」(第24章)第7節「本源的蓄積の歴史的傾向」に出てきます。具体的には大月書店国民文庫版『資本論3』p.438です。

資本主義の発展は、労働者からの収奪(剰余労働・剰余価値の収奪)によって成り立っています。
しかし資本主義が高度に進展すると、次のような矛盾が激化します。

・ 少数の資本家による富と生産手段の独占
・ 多数の労働者による貧困と疎外の深化
・ 生産力の社会的性格と私的所有の矛盾

その行き着く先で、資本主義は自己の基盤を掘り崩し、やがて労働者階級が、資本家階級から生産手段を取り戻すという転倒が起こる。これをマルクスは「収奪者が収奪される」と表現しました。
つまりこれは、資本主義の終焉と、資本の他者性を克服する歴史的契機を示す象徴的な言葉なのです。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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