今回は、『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰も「生きづらくない社会」へ』(玉手慎太郎、講談社現代新書)の【はじめに】と【第1章】をご紹介します。細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「正義」のように、ある用語に「 」を使用することがあります。)
なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。
【はじめに】
本書は主に、ジョン・ロールズの『正義論』に焦点を絞って解説する新書です。
* 私は、マイケル・サンデル『JUSTICE』が流行った時に、ついでに買った『Justice: A Reader 』という本ではじめてロールズという名前を知りました。
本書では最初に『正義論』が掲げる問いと、その問いに対するロールズの暫定的な解答が示されます。
その問いとは、「正義にかなった社会のあり方はいったいどのようなものか」であり、それに対するロールズの解答は、「人々の自由と平等を大切にする社会こそがそうである。」というものでした。
「このようなロールズの政治思想は、のちに「平等主義リベラリズム」と呼ばれ、現実の政治にも影響力を持つことになります。」
* ここまで読んで、「これは〈まっとうな〉意見だよなあ。こういう価値観で自分は育ってきたよなあ。」という印象を持ちました。もっと言えば、「平凡な意見で、そんなこと誰でも思うよなあ。」という印象でしたが、もちろんロールズがそんな平凡で単純な議論を展開するはずがありません。
本書の著者玉手は、「ロールズ思想の中に、社会の中の答えのない対立を乗り越えるヒントがある」と述べます。「答えのない対立」が何であるかは、この後明らかにしていきます。
ここで改めて「正義の役割」について述べられます。本書から引用します。
「正義のルールは本来、人々の政治的な立場の対立の中で、なお共通の土台となるものです。意見の違いはあっても、それでも誰もが従わなければならないものとして、正義があるわけです。(中略)このように意見対立の中でなお社会の共通の基礎を打ち立てるのが正義の役割です。」
* 「本来」はそうだけれども、実際はそうではないという認識がロールズにはあるわけです。簡単に「共通の土台」がつくられないということが、ロールズ思想の出発点なのです。そういう意味では、ロールズの思想はきわめてアクチュアルなものであると言えるでしょう。
ここで「多様性」と「対立」について非常に重要な指摘がなされます。
「多様性をすばらしいものとして受け入れるのはよいのですが、その一方で多様性に付随する対立をなんとか調停する手段を見つけない限り、多様性を尊重する社会において分断が深まっていくのは必然です。」
* 今ちょうど別の本で「倫理における文化相対主義」のところを読んでいるのですが、やはり同じ問題が存在します。「倫理は文化によって異なる」ことを受け入れるのみでは、お互いに理解し合えない異なった倫理が並立するだけになります。
このような認識のもとに、ロールズの『正義論』が目指すところが簡潔にまとめられます。それは、
「人々が多様なアイデンティティを持っており、正義についても異なる意見を持っている、ということを前提にした上で、それでも正義が成立するとすればどのようなものとなるのか、という問題」なのです。
【第1章 助け合って生きていく上での対等な足場をつくる】
本書から引用していきます。
「ロールズが検討するのは、社会を支える仕組みが正しいものであること、という意味での「正義」です。一言で言えば「社会正義」こそが『正義論』の主題です。」
* 「社会的正義」という用語は、一般的には “Social Justice” と訳されますが、ロールズのの理論を指す場合は “Justice as Fairness” を使うのがより専門的です。公正な社会は「くじ引きでどの立場に置かれても納得できる」社会を指します。
* ロールズの社会的正義は「最大限の自由を確保しつつ、不平等は弱者に利益をもたらす場合のみ許される」という関係性に整理できます。
また、本書から引用していきます。
「正義とは社会の諸制度が持つ特徴であること、それも第一に満たされなければならない特徴であることが、高らかに述べられています。」
「多様な考え方はあるものの少なくとも何らかの正義は必要である、社会にとって正義はなくてはならないものだ、ということを、議論の初めにロールズは確認しているのです。」
「ロールズによれば社会とは、私たちが共に生きることで、お互いによりいっそう豊かになるという、そのような試みのことです。そして、そのような試みであるからこそ、正義が必要になる、とロールズは考えます。」
* 要するに、ロールズは「社会の安定と人々の自由で対等な協力を保証するために正義が不可欠」であると考えました。
「権利と義務について、誰がどのような権利を有し誰がどれだけの義務を負うのか、また便益と負担について、誰がどのような便益を得て誰がどれだけの負担を負うのか、それを決定するのが正義の原理の役割なのだと、ロールズは述べています。」
「社会とは人々が共同で取り組む一つの試み、すなわち「協働の冒険的企て」である、とするロールズの考え方に、『正義論』を理解するうえでの重要なポイントを見て取ることができます。」
* ロールズの「協働の冒険的企て(a cooperative venture for mutual advantage)」という表現は、『正義論』第1章第1節に出てきます。「・・・、社会とは〈相互の相対的利益を目指す、協働の冒険的企て〉なのだけれども、そこには利害の一致だけではなく衝突も顕著に見られるのが通例である。」(紀伊国屋書店『正義論』p.007)
* ロールズが言いたいのは、社会の本質には協力と対立の両面があるということです。すなわち、人々は協力すれば相互に利益を得られるが、しかし同時に、利害や利益の分配をめぐって対立も必ず生じる、ということです。
* 協働は成功すれば豊かさや自由をもたらしますが、失敗すれば不平等や支配につながります。だからこそ、その営みは「冒険的」な試みだと言えるのです。
* 対立があるからこそ、すべての人が納得できる「公正なルール」がなければ協力は持続しません。したがって、正義は「社会の存続と安定の第一条件」なのです。
また、本書から引用していきます。
「実際のところ、ロールズは正義論を立憲デモクラシーの基礎と位置付けています。」
「ロールズの『正義論』が議論の対象としている社会の範囲は、原則として国家と一致します。」
「逆から言えば、『正義論』では国際社会については検討されないということです。」
* ロールズの正義論は、抽象的な倫理だけでなく、具体的な政治制度(立憲民主制)を正当化する理論です。「自由の保障」「機会の平等」「不平等の是正」といった原理は、立憲デモクラシーを安定させる土台になるのです。
* 国家間の関係や国際的な正義については、後に別の著作『万民の法』(The Law of Peoples, 1999)で論じられます。
さて、「なぜ協働の便益と負担の割り当てが偏っていてはいけないのか」という根本的な問いに戻ってみましょう。これに対する著者の答えは「それが、「正義」という言葉の意味だからです。」「正義なしでまともに生きていける人はいないのです。」です。
* うーん、これで説明になっているのでしょうか?私なりにわかりやすく答えを整理してみます。
・協力の結果生じる「便益」と「負担」が不公平に割り当てられると、「協働する理由」を失い、社会そのものが持続できない。
・社会制度は、誰もが「自分がどの立場に生まれても納得できるルール」でなければならない。もし分配が偏っていれば、弱者の立場になったとき「この社会は不正だ」と感じてしまい、全員が合意できない。
・不公平な分配は、社会に対する不満や抵抗を生み、制度の安定性を脅かす。
この問いとは別に、「実力行使によって利益を得ることもまた一つの正義である」という主張があるかもしません。この問いにはどう答えるべきでしょうか。
これについて著者は次のように述べます。
「むしろ、力のあるものは(中略)正義である「かのように」ふるまうことができる、という主張とみなすべきです。(中略)逆に言うと、あえてそのようにひっくり返すことがレトリックとして意味を持つということが、そもそも力による決定は正義ではない、ということを明らかにしています。」
その上で著者はこう述べます。
「ここで、ロールズは非常に重要な一つの事実を受け入れます。それは、具体的な正義のあり方、すなわち「正義の原理」は、唯一絶対の答えが簡単に見つかるようなものではない、ということです。」
「正義についてはさまざまな考え方がある、とするならば、私たちは正義について答えを一つに定めることができない、という結論に満足するしかないのでしょうか。残念ながら、そういうわけにはいきません。もし答えを一つに定めることができないということで話を終えてしまえば、正義は実際のところ機能しないことになってしまうからです。」
このジレンマをロールズはどのように解決したのでしょうか。これを次章で検討していきたいと思います。