今回は、『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰も「生きづらくない社会」へ』(玉手慎太郎、講談社現代新書)の【第3章】をご紹介します。細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「 」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「正義の原理」のように、ある用語に「 」を使用することがあります。)
なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。
【第3章 自由と平等のための正義を組み立てるー正義の二原理】
ロールズの正義の構想は、二つのパートから成り立っています。本書の表現を借りれば、
「一つは「公正なスタート地点における合意」とはどんなものかを明らかにすること」、
「もう一つはそこから導かれる「正義の原理」とはどんなものかを明らかにすること」です。
第2章で扱ったのは前者でした。第3章では後者を扱います。
最初に登場するのは、いわゆる「正義の二原理」というものです。(第2章でも一部を紹介しました。)
第一原理(平等な自由の原理):すべての人は、基本的自由(言論・信教・結社の自由、法の下の平等など)について、他者と同等の最も広い体系を享受する権利を持つ。
第二原理(格差の是正に関する原理):社会的・経済的不平等は認められるが、次の二条件を満たさねばならない。
・機会均等の原則:すべての人が公正な機会を持って地位や職を得られること。
・格差原理(差異原理):不平等が存在しても、それが社会の最も不利な立場にある人々に利益をもたらす場合に限って正当化される。
本書でも述べられていますが、「まず第一原理が履行されることが優先的な問題」です。この優先順位づけが何を意味するかと言いますと、「基本的な自由が経済的な利益のために犠牲になることは認められない」ということです。では本書に沿って、それぞれの原理の内容を検討してみましょう。
まず、第一原理ですが、著者のまとめでは、「互いの自由が必ずしも干渉しないようなタイプの自由に関しては、互いの権利を侵害するようなことがない範囲で、すべての人に対して平等に保証されるべきである。」ということになります。
次に第二原理を見ていきましょう。著者はこの原理の冒頭の「社会的・経済的不平等は認められるが」の部分は実は「不平等は原則として認められない」ということを述べていると指摘します。もう少し正確に言えば、ロールズは「許容できる不平等の範囲を定める」のです。それが上記の「機会均等の原則」と「格差原理」です。
第二原理の著者によるまとめを引用します。「最も恵まれていない人々にとっても利益になるようなものであり、かつそれを生み出す地位や職務が専有されたものではないような、そういった不平等であれば、許容することが正義にかなう」
* ではここからは本書を少し離れて、ロールズのこの「正義の二原理」に対する代表的な批判を見ていきましょう。
1. 自由主義的立場からの批判:
この立場を代表するのが『アナーキー・国家・ユートピア』で知られるロバート・ノージックです。ノージックは、ロールズが不平等を「社会全体の制度がどう分配しているか」で正当化する点を否定します。なぜなら、ノージックは「所有権」や「自発的交換」から生まれる不平等は正義に反しないと考えるからです。ロールズ的な再分配は、個人の自由(とくに財産権)を不当に侵害する、と批判するのです。
2. コミュニタリアンの批判:
この立場を代表するのが、マイケル・サンデルやアラスデア・マッキンタイアです。彼らは、ロールズの「無知のヴェール」の背後にいる「合理的な個人」は、あまりに抽象的・孤立的で、現実の人間存在を歪めている、と批判します。なぜなら、人間は共同体や歴史的文脈の中で形成される存在であり、個人を切り離して「普遍的な合意」を導くことはできない。したがって、正義の原理は共同体的な価値観や伝統を無視してしまうからです。
3. 功利主義的批判:
いわゆる古典的功利主義者(ベンサム的立場)からの批判です。彼らは、ロールズは「最大多数の最大幸福」ではなく、「最も不利な人を優遇する」格差原理を採用したが、これは社会全体の効率や幸福の総量を犠牲にしかねない、と主張します。なぜなら、たとえば、全体の幸福を大幅に増やせる政策でも、最貧層に不利益があればロールズ理論では却下されるため、社会全体の厚生を最適化できない可能性があるからです。
4. フェミニズムやケアの倫理からの批判:
この立場を代表するのがアメリカの政治哲学者スーザン・モラー・オーキンです。彼女は、ロールズは「家族」を正義の適用範囲から外している、と批判します。なぜなら、家庭内の性別役割やケア労働の不平等は、社会制度と密接につながっているのに、ロールズはそれを「私的領域」として扱いすぎているが、これではジェンダー不平等を是正できないからです。
5. 現実性への批判:
この立場を代表するのが、インドの経済学者、哲学者アマルティア・センです。彼は、ロールズの理論は「理想的な状況」での合意に偏っていて、現実の不正義や能力差をうまく扱えない、と批判します。なぜなら、センは、抽象的な制度設計よりも「人々が実際に何ができるか(ケイパビリティ)」に注目すべきと主張するからです。
以上の批判に対して、ロールズ自身やロールズ学派からの反論も当然存在します。
1. リバタリアン批判(ノージック)への反論:
ロールズ側は、財産権もまた「基本的自由」の一部ではあるが、絶対的なものではない、と主張します。所有権は常に社会制度の枠組みの中で規定されます。したがって「国家が手を触れてはいけない自然権」ではなく、制度設計の一部として正当化される必要があります。格差原理は、むしろ不平等を完全に否定するのではなく「正当な範囲で許す」ことで、経済的活力を維持しつつ弱者を守る仕組みだと擁護されるのです。
2. コミュニタリアン批判への反論:
ロールズ側は、「無知のヴェール」は、現実の人間像を描いているわけではなく、公正な判断手続きをモデル化した「思考実験」である、と主張します。「無知のヴェール」は、実際の共同体や歴史的文脈に基づいた価値を排除しているのではなく、むしろ「偏見や恣意的な要素」を一旦脇に置くための装置なのです。ロールズ側は、コミュニティに依拠した価値を組み込むと、特定の伝統や文化に閉じた正義観になり、普遍性が失われる恐れがある、と応答します。
3. 功利主義的批判への反論:
ロールズ側は、功利主義は少数者を犠牲にしてでも多数派の幸福を増やすことを正当化しかねないが、これは「人間を手段として扱う」危険がある、と主張します。格差原理は「最も不利な人々の利益」を守ることで、弱者の尊厳を確保します。これは功利主義が保証できない道徳的制約を与えるのです。ロールズ理論は「効用の最大化よりも、まず人権や自由を確保する」という点で優れているのです。
4. フェミニズム批判への反論:
後期ロールズは「家庭の中の公正さ」も社会制度の正義に含めるべきだと認めています。ロールズは、初期『正義論』では家庭を「私的領域」として扱っていましたが、『政治的リベラリズム』以降では、家庭も「公正な協働の制度」の一部と位置づけるようになりました。
5. センからの批判への反論:
ロールズは「理想理論(ideal theory)」と「非理想理論(non-ideal theory)」を区別しており、『正義論』はあくまで前者を提示している、とします。現実の政策に直結しなくても、理想理論は制度設計や実践の「指針」や「基準」を与える役割があるのです。つまり、センが指摘するような現実問題は「次の段階の理論(非理想理論)」で扱われるべきものだと位置づけられるのです。