今回は、『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰も「生きづらくない社会」へ』(玉手慎太郎、講談社現代新書)の最終章【第4章】をご紹介します。細かい部分に関しましては、直接本書を購入し、手に取っていただければと思います。「  」は原則引用部分です。(ただし引用でなくても、「社会的基本財」のように、ある用語に「  」を使用することがあります。)
なお*の後は、著者とは異なる私の個人的な「意見」「感想」や「研究」です。

【第4章 自由な生活に必要なものを見極める-自尊の社会的基礎】

この章の内容は、「人々の自由な生活のためには何が必要だとロールズは考えていたのかについて」です。まず問われるのは、「そもそも最も恵まれない人とは、いったい誰のことなのか」です。著者の言葉で言い換えれば、「どうすれば、個々人の価値観から独立した形で、境遇の良し悪しを判断できるのか」が問題となります。

ロールズはこの問題を、「社会的基本財」(primary goods)という概念を導入することで解決しようとします。ここでの「社会的」とは「社会制度を通じてコントロールされる」という意味です。ですから、「社会的基本財」を言い換えれば、「正義が直接に問題としうる基本財」となります。

では「社会的基本財」とは具体的には何でしょうか。ロールズは五つのものを挙げます。すなわち、「権利」、「自由」、「機会」、「所得と富」、「自尊の社会的基礎」です。

* 社会的基本財は「誰にとっても必要」なものなので、どのような人生観や価値観を持っていても不可欠です。正義の二原理を適用する際、分配すべき対象となるのはこの社会的基本財なのです。
特に格差原理は、「最も不利な人が享受できる社会的基本財が最大化されるように」社会を設計することを要求します。

五つの「社会的基本財」のうち、ロールズは「自尊の社会的基礎」を最重要視しますが、この財は。わかりやすく言えば、自分の人生に意味があると感じるための承認・尊重のことです。

本書から引用します。
「なぜこのような意味での自尊心が社会正義にとって重要なのかというと、自尊心を欠いている人は、たとえ自由や権利や機会を与えられていても、それを利用するということができないからです。」
「自尊心を獲得するために、人は他者の助けを必要とするのです。」

以上を確認した上で、次の問いが問われます。それは「自尊の社会的基礎を人々にもたらすにはどうすればよいのか」という問題です。

本書から引用します。

「この問題に対するロールズの解答は大きく二つあります。ロールズはまず、一人の市民として認められていることが、自尊心を持つためには必要だと論じます。」もう一つ必要なのは、「人が安心して所属できる共同体です。」

ここでの本書の重要な指摘は、「コミュニティの中での具体的な人間関係とともに、社会の中の一人の個人としての自立した立場もまた大事だということです。」「集団」と「個人」というこの一見相反する概念について、玉手氏は前者を「コミットメントのベクトル」、後者を「デタッチメントのベクトル」とも言い換えています。

* ここで少し本書を離れて、ロールズの「社会的基本財」と、アマルティア・センの「ケイパビリティ・アプローチ」の関係を整理してみます。

  1. ロールズの立場:社会的基本財は、どんな人生計画を持つ人にとっても必要な「共通財」である。
    例:自由、所得、機会、尊厳の基盤など。
    分配正義は、この基本財をどう配るかに焦点を置きます。
  2. センの批判:同じ基本財でも、人によって活かし方が異なる。
    例:車いす利用者と健常者が同じ所得や自由を与えられても、実際にできることは大きく違う。
    単純な「財の分配」では、平等を保障できない。重要なのは「財そのもの」ではなく「それを使って何ができるか」である。所得や自由は「手段」にすぎず、最終的には「生き方の選択肢」や「行為の可能性」が問題となる。ロールズの社会的基本財はあまりに形式的・抽象的で、人々の具体的な能力差を反映していない。

本書に戻ります。ロールズの思想が「平等主義リベラリズム」であるとされる理由が2点挙げられます。

1.ロールズの正義の二原理は、基本的自由を平等に認めるのみならず、社会的・経済的不平等の縮減も求めるから。
2.ロールズは「正義のルールを守っている限り自由に生きることが認められる」ということを重視するから。ロールズは、これを「善に対する正義の優先権」と呼びます。

著者は「平等主義リベラリズム」が導かれる条件として、以下の点を強調します。
「唯一絶対の正義がない以上、私たちは公正な状況における合意によって正義を組み立てなければならない」

本書の最後の締めくくりとして、著者は「ロールズの『正義論』が社会正義をめぐる議論の土台をつくった」という点を高く評価します。
「ロールズは、多様性の中で共通の土台となる正義を理論化しただけでなく、その理論化における精緻さと明瞭さを通じて、政治哲学という営みの共通の土台ともなったのです。」

* 私は、ロールズの哲学は、デカルトやカントのような哲学とは異なり、「具体的なアクチュアルな場」に置かないと意味がないと考えています。そこで最後に、本書ではふれられていない、ロールズを『正義論』の執筆に向かわせた時代背景や地域の事情などについて考察してみましょう。

ロールズの『正義論』(A Theory of Justice, 1971)は、単に哲学の内部的議論から生まれたのではなく、以下のようなアメリカの社会状況と20世紀中葉の哲学的潮流を背景に成立しました。

  1. 時代的・地域的背景(アメリカ1960年代)

・公民権運動(1950–60年代):
アフリカ系アメリカ人の平等権運動が激化し、差別と自由・平等の問題が社会的焦点になっていた。ロールズの「基本的自由の平等」や「格差原理」は、この時代の人種的不平等の是正という課題と響き合っている。

・ベトナム戦争と政治的混乱:
国家の正義や戦争の正当性が問われる中で、「公正な社会制度とは何か」という基礎的な問い直しが求められた。ロールズは従軍経験もあり、戦争と不条理の体験が「公平な社会秩序」への関心を深めたとされる。

・冷戦下の資本主義 vs 社会主義:
アメリカは資本主義的自由を掲げ、ソ連は平等を掲げていた。ロールズは両者の二分法に代わる「自由と平等の調和」の理論を模索したとも読める。

  1. 学問的背景と仮想敵

功利主義(Utilitarianism):
ロールズの最大の仮想敵は「功利主義」でした。
当時のアメリカでは、経済学や政策哲学において「最大多数の最大幸福」という功利主義的発想が支配的でした。しかしロールズは、それが少数者を犠牲にしてしまう危険を強く批判しました。『正義論』は「功利主義に代わる規範的政治哲学」を提示することを大目標にしていたのです。

分析哲学の影響:
当時の英米哲学は論理実証主義の衰退後、言語分析や規範倫理の復権に向かっていました。ロールズは、従来の「直観主義」や「功利主義」ではなく、カント的契約論を分析哲学的に再構築することで、新しい規範理論を示したのです。具体的には、ロールズは「人を目的として扱うべき」というカント倫理学の理念を、社会制度全体の設計原理へと拡張しました。これにより「自由の尊重」と「平等の尊重」を結合させたのです。

  1. ロールズを執筆に駆り立てた問題意識

ロールズにとって、社会的・経済的不平等が広がる中で、「自由と平等をどう両立させるか」が課題でした。ロールズの目標は、「民主主義的社会における公正な原理は何か」を示し、功利主義に代わる基盤を与えることでした。つまりロールズは、アメリカ的自由主義を再構築し、社会正義の哲学的土台を提供することを狙ったのです。

* ロールズはしばしば「カント的契約論者」と言われますが、その方法論や議論の運び方は分析哲学的な特徴を強く持っています。

  1. 方法の明確化・論理的構造化:
    ロールズは『正義論』で、自身の理論を「社会契約論の一種」と位置づけつつ、その論理的構造を徹底的に明示しました。「無知のヴェール」「原初状態」といった思考実験は、抽象的道徳直観を整理するための論理的装置なのです。これは曖昧な道徳的訴えではなく、「もしこういう状況を想定すれば、理性ある人なら必然的にこの原理を選ぶはずだ」という推論の形を取っています。前提と結論をクリアに提示する議論のスタイルが、まさに分析哲学的なのです。
  2. 「反照的均衡(reflective equilibrium)」の手法:
    ロールズは、自分の理論を「道徳的直観」と「規範理論」の往復運動で調整する方法をとりました。これは「倫理学を演繹的に構築する」やり方(カント)でもなく、「幸福を最大化する」単一原理(功利主義)でもなく、直観と理論を調整する一種のモデル化手法です。この「反照的均衡」というメタレベルの方法論自体が、分析哲学で重視される「概念分析」「理論的明晰性」の精神を体現しています。
  3. 概念分析的なアプローチ:
    ロールズは、「正義」や「自由」「平等」といった倫理的概念を曖昧に使わず、厳密に定義して議論します。例えば「自由」については、表現の自由・結社の自由など具体的なリストを提示します。「平等」については、機会均等・格差原理など複数の次元を区別します。言葉の用法を精緻化して議論を組み立てるのは分析哲学の典型的手法です。
  4. 倫理学を「規範的制度設計の理論」としてモデル化:
    ロールズは社会全体を「基本構造」と呼び、それを規範的に分析しました。これは「制度設計をどうすれば一貫した原理で正当化できるか」という問いで、まるで形式理論のように社会制度をモデル化して扱います。倫理学を単なる価値判断や美徳論ではなく、制度に適用可能な理論として構築する点が分析哲学的なのです。
  5. 仮想敵との議論の仕方

ロールズは、仮想敵(功利主義、直観主義、パーフェクショニズムなど)を設定し、それぞれの論理的な強み・弱みを分析的に検討しました。「功利主義は一見合理的だが、少数者の権利を犠牲にする点で破綻する」といった批判の仕方は、分析哲学の対話的スタイルに則っています。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です