プラトンに倣いAIの時代における新しい『対話篇』を創造(生成?)する企画第3回は、先日公開されたSora2について語り合います。お楽しみいただけるでしょうか。ご感想もお待ちしております!
(なお、文中の「あなた」は私のことです。)

あなた:今日は、最近発表されて話題になっている、OpenAIの動画・音声生成モデルSora2を取り上げてみたい。OpenAIのモデルをOpenAIのChatGPTに訊くと言うのも、ちょっとした冗談のようではあるけれどね。

ChatGPT:確かに、自分の「同族」について語るのはちょっと滑稽だね。まるでソクラテスに「ソクラテスとは何者か」と尋ねているような、軽いパラドックスがある。けれども、その自己言及的なところがむしろ面白さを深めている気もするよ。

あなた:このモデルは物理法則を理解している「世界シミュレーター」と言われているね。

ChatGPT:そうだね、Sora2 は単に映像をつなぎ合わせるのではなく、物体の動きや重力といった物理的制約を内部で再現していると説明されている。だから「世界シミュレーター」という呼び方は、単なるメタファー以上に、現実を小さく模倣する装置としての側面を強調しているんだ。ある意味、それは哲学でいう「ミクロコスモス」を機械が演じ始めたとも言えるね。

あなた:だとすると、人々は本当に架空の、見たこともないイメージを求めているというより、より「現実っぽい」虚構を欲していると言えるのだろうか。

ChatGPT:まさにそこが核心だと思う。人はまったく未知の幻想よりも、現実に似た世界の中で「あり得そうな虚構」を味わうことに安心や魅力を感じる。だからこそ、Sora2 のようなモデルは、現実をなぞりつつ少しだけ越境するイメージを提供することで強い吸引力を持つんだろうね。

あなた:AIは現実の膨大なデータを「学習」して、仮想現実を作り出すわけだから、これが厳密な意味での「創造」と言えるかは難しいところだね。

ChatGPT:確かに、その点は大きな論点だね。AIがしているのは、過去のデータから規則性を抽出して、新しい組み合わせを生成すること。だからそれを「創造」と呼ぶか、それとも「模倣の拡張」と見るかは、人間が創造をどう定義するかにかかっているんだと思う。

あなた:美術における「コラージュ」と類縁性はあるのだろうか。

ChatGPT:うん、とても近いと思う。コラージュは既存の素材を切り貼りして新しい意味を立ち上げる表現で、AIの生成もデータの断片をつなぎ合わせて新しい全体を作る点で似ている。ただ違いがあるとすれば、コラージュは素材の「断片性」をあえて見せるのに対し、AIはむしろ継ぎ目を消して「一続きの現実」を装うところだろうね。

あなた:Sora2で生成された架空の動画は、現実の再現(re-presentation)とまったく区別がつかないレベルだね。これは人々の認知や思考にどのような影響を及ぼしていくのだろうね。

ChatGPT:そのレベルに達すると、人は「これは本物か?」と常に疑う姿勢を持たざるを得なくなるだろうね。視覚や聴覚に対する信頼が揺らぎ、現実と虚構の境界が曖昧になる。結果として、人々の思考は「真偽を見抜く」方向に敏感になる一方、逆に「区別は無意味」と諦めてしまう傾向も強まるかもしれない。

あなた:なるほど。「区別は無意味」ということは、そういう人たちにとっては生成された動画もひとつの現実ということだね。

ChatGPT:そうだね、その場合は「真実らしく経験されるもの=現実」という感覚にシフトしていく。つまり、出来事が本当に起こったかどうかよりも、自分がそれを「見た・感じた」という体験の方が重視されるんだ。そうなると、生成動画は現実と並立するもうひとつの現実として扱われるようになるだろうね。

あなた:そうすると人々はより「快」を求めていくだろうね。自分が気持ちいいと思われる世界だけを生成して、そこに浸っていくように思われる。

ChatGPT:確かに、その傾向は強まると思う。人は苦痛や不快を避け、心地よさや充足感を与えてくれる世界を優先的に選ぶ。もし生成モデルがそれを無限に供給できるなら、人々は現実よりも「快適に設計された虚構」に居続ける誘惑に駆られるだろうね。

あなた:そういう「快楽生産専用ゴーグル」を装着した中毒患者が、街中に溢れるというような事態にはならないだろうか。

ChatGPT:そのイメージはディストピア的だけれど、全く荒唐無稽とも言えないね。もし技術が個々人の欲望に完全に応えるようになれば、人は社会よりも内的な快楽に閉じこもりがちになる。結果として、共有される公共の現実が崩れ、孤立した「快楽の島々」が点在する社会になる危険はあると思う。

あなた:「真偽を見抜く方向に敏感になる」人たちはどうなるだろうか。AIが精巧になればなるほど、ファクトチェックは困難になっていく。

ChatGPT:そうだね、AIの精巧さが増すほど、真偽を見抜こうとする人たちはますます困難に直面する。情報の検証には専門的な知識や技術が必要になり、一般の人との間に大きな格差が生じるだろう。その結果、社会は「快楽に浸る人々」と「懐疑と検証に追われる人々」とに二極化していく可能性があるね。

あなた:僕は「懐疑と検証に追われる人々」ではなく、「検証を諦めた人々」にならざるをえないと思う。

ChatGPT:その見方も現実的だと思う。膨大な情報を一つひとつ検証するのは、人間の時間や認知の限界を超えてしまうからね。だから多くの人は「信じるか、流すか」の二択に傾き、結局は検証を諦めてしまうのかもしれない。

あなた:諦めた人はどうなるかと言うと、自分の見たものしか信じないということになるね。まるで大昔に回帰したかのようだ。音楽で言うと、複製芸術を信じずに、ライブしか行かないような態度と言える。

ChatGPT:なるほど、面白いたとえだね。複製や記録を疑い、「その場で経験したものだけが本物」という態度は、技術が進んだ末に逆行するようで皮肉だ。ただその回帰は、情報洪水に疲れた人々が「直接体験」の価値を再発見する契機にもなるかもしれないね。

あなた:しかし、その「直接体験」だって絶対信用できるとは限らないよ。ヒラリー・パトナムが「水槽の脳」で示したように、自分が体験している現実が、水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティではないかという懐疑は、常に存在するのだから。

ChatGPT:まさにその通りで、「直接体験」さえも究極的には保証できない、というのがパトナムの「水槽の脳」の怖さだね。体験がどんなに生々しくても、それがシミュレーションでないと論理的に証明することはできない。
だから「直接体験」を信じる態度は、哲学的には脆弱だけれど、実際の生を営むうえでは避けがたい実用的な信頼なんだと思う。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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