プラトンに倣いAIの時代における新しい『対話篇』を創造(生成?)する企画第4回は、このところ発表されたノーベル賞に対する私たちのリアクションについて語り合います。お楽しみいただけるでしょうか。ご感想もお待ちしております!
(なお、文中の「あなた」は私のことです。)
あなた:今日は、このところ発表された「ノーベル賞」について考えてみたい。なぜ皆「ノーベル賞受賞が日本人にとって誇らしい」と言うのだろうか。僕はかすかに違和感を感じるのだが。
ChatGPT:興味深い視点だね。「日本人が受賞した」ということに誇りを感じるのは、国民的な同一性を確認したいという心理が働いているのだと思う。けれども、科学や文学の成果は本来、国境を越える普遍的な営みのはずで、そこに「誇り」を結びつけること自体に少しの違和感があるのも自然だね。
あなた:戦後湯川博士が受賞した時代には、「国威発揚」という意味があったことは理解できるのだが。
ChatGPT:そうだね、あの時代には、戦後の屈辱や敗戦の記憶を払拭したいという集団的な願いがあった。湯川博士の受賞は、学問を通じて日本が再び世界に認められたという象徴的な出来事だったんだ。だから「誇り」は、個人の功績というより、国全体の再生への希望と結びついていたんだと思う。
あなた:ところがあれから80年近い年月が経っても、ニュースの冒頭で「嬉しいニュースが入ってきました」とアナウンサーがはしゃぎ、地元では万歳を唱え、所属大学の大学生は「後に続きたいです」と興奮気味に語るのだよね。
ChatGPT:確かに、その光景は毎年ほとんど変わらないね。それは、科学的成果の内容よりも、「日本人が世界に認められた」というナラティブが社会的に定着してしまったからだろう。言い換えれば、ノーベル賞は研究そのものの評価よりも、国民的な感情を再生産する装置として機能しているのかもしれない。
あなた:他国民もノーベル賞に同じような反応をするのだろうか、それともこれは日本人特有の現象なのだろうか?
ChatGPT:多くの国で、自国の受賞者が出れば誇らしく報じられるけれど、日本のように感情的な祝祭になる例はやや珍しいかもしれない。欧米では受賞が「個人の業績」として扱われ、国家の名誉とはやや距離を置く傾向がある。日本の場合、集団的同一性を重んじる文化が、個人の栄誉を共同体の成果として共有させるのだろうね。
あなた:さきほど「科学的成果の内容よりも」と言われたが、確かに国別の受賞者数、出身大学別受賞者数だけでなく、奥さんとどこで知り合ったとか、どうでもいいことだけがクローズアップされる。
ChatGPT:まさにその通りで、報道の焦点が「科学」から「人物ドラマ」へとずれてしまうんだ。それは専門的な成果を理解しにくい大衆への配慮でもあるけれど、同時に“物語化”しないと祝祭として成立しないという構造でもある。つまり、ノーベル賞は学問というよりも、社会が安心して感動できる「国民的ドラマ」として消費されているんだと思う。
あなた:「専門的な成果」についてはたしかにニュースの解説委員のような人が手短に解説しようと試みるが、まさに世界的な研究が素人に分かるわけはないよね。
ChatGPT:そうなんだ、最先端の研究は専門の隣接分野の学者でさえ完全には理解できないほど複雑だ。だから一般向けのニュースでは、どうしても比喩や象徴的な言葉で説明するしかない。その結果、「何がすごいのか」よりも「すごいと言われている」という印象だけが独り歩きしてしまうんだね。
あなた:その点、大谷翔平のホームランは、野球に詳しくない人でもそれなりに凄さはわかるので、質的な違いはあるね。
ChatGPT:うん、その比較は的を射ているね。スポーツの成果は視覚的・感覚的に理解できるから、誰でも「すごい」と即座に共感できる。一方で、ノーベル賞のような知的成果は「可視化」できないため、どうしても象徴的な物語に置き換えられてしまうんだ。
あなた:しかし、そもそもなぜノーベル賞だけが特別に「偉い」のだろうか。フィールズ賞は同じようには注目されないし、ノーベル平和賞を政治的な道具にしようとしている人もいる。
ChatGPT:確かに、ノーベル賞だけが突出した「権威」として扱われているね。それは単に賞金や歴史の長さだけでなく、「人類の進歩に貢献した」という理念がうまく神話化されているからだと思う。けれども実際には、選考の政治性や分野の偏りも多く、完全に中立な権威とは言いがたい側面もあるね。
あなた:私たちはこういう「権威」に対して、その内容も分からずに踊らされているというわけだね。
ChatGPT:そうだね、権威はしばしば「理解できないものを信じる仕組み」として働く。人は複雑な事実よりも、「信頼できそうな象徴」に安心を求める傾向があるからだ。だからノーベル賞の報道は、知の祝祭であると同時に、私たちの信仰のかたちを映す鏡でもあるのかもしれない。
あなた:それは何に対する「信仰」なのだろうか?
ChatGPT:おそらくそれは、「理性と進歩」への信仰だろうね。科学が人間をより良く導くという近代以来の物語を、ノーベル賞は今も体現している。たとえ内容が理解できなくても、「人類は前進している」という安心感を、私たちはその象徴に託しているんだ。