これから10回程度にわたって、いわゆる倫理的な行動や運動が欺瞞に満ちた〈きれいごと〉であるのか、あるいはそんなことは全くなくてその正当性を主張できるのか、を考察します。
その際に、吉本隆明という思想家が〈倫理〉にどう立ち向かったかを参照しつつ論を進めます。検討する倫理的な行動・活動の対象としては、グレタ・トゥンベリに代表される環境活動、SDGsに代表される課題解決の目標、そして最後に(重いですが)反核運動を取り上げます。この論考の目的は別に吉本隆明の思想を擁護することではないので、読者は自由にその思想を批判して(あるいは同意して)いただければと思います。
またこの投稿は学術論文ではないので、話題があっちに行ったりこっちに行ったりすると思いますが、その点はご容赦ください。第1回はまず今はあまり語られない「心情左翼」という語の話から始めたいと思います。
若い人は「心情左翼」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。心情左翼とは、マルクス主義などの厳密な社会主義・共産主義の理論や、特定の政党・団体への所属に基づくのではなく、「弱者救済」「平等」「平和」「反権力」といった左派的な価値観に対して、個人の倫理観や感情(心情)、ヒューマニズムに基づいて共感・支持を示す層を指す言葉です。その特徴や背景を整理すると以下のようになります。
- 定義と主な特徴
心情左翼は、理論(ロジック)よりも倫理(エトス)を重視する傾向があります。
・人道的動機: 「貧しい人を助けるべき」「戦争は絶対にいけない」「権力による抑圧は許せない」といった、素朴で人道的な正義感や良心を動機とします。
・非組織・非党派: 共産党や社会民主党などの特定の政党員ではない場合が多く、労働組合活動や組織的な動員には消極的な傾向があります。いわゆる「無党派層」の一部を形成します。
・判官贔屓: 強者や体制側よりも、弱者やマイノリティに寄り添うことを美徳とする心情を持っています。
- 歴史的背景と文脈
この言葉が使われるようになった背景には、日本の戦後政治史、特に学生運動の興隆と衰退が関係しています。
・学生運動の影響: 1960年代〜70年代の安保闘争や全共闘運動の際、過激な暴力闘争や内ゲバにはついていけないが、彼らが掲げる「反戦」や「社会正義」の理想そのものには共感する、という学生や市民が多数いました。こうした層が「シンパ(sympathizer)」と呼ばれ、心情左翼の原型となりました。
・イデオロギーの形骸化: 冷戦終結後、社会主義体制やマルクス主義理論の権威が失墜しました。その結果、理論的な裏付けよりも「リベラルな気分」や「社会的な良心」として左派的価値観を保持する人々を指して使われることが増えました。
- 言葉のニュアンス
この言葉は、文脈によって肯定・否定の両方の意味合いを含みます。
・否定的な用法:保守派や現実主義的な立場からは、「現実の国際情勢や経済論理を無視した、お花畑的な理想主義者」「ナイーブ」という意味で批判的に使われることがあります。また、厳格な理論左翼(教条主義的な立場)からは、「理論的裏付けがなく、情緒に流されやすい」「覚悟が足りない」と批判されることもありました。
・記述的な用法:日本人の国民性(和を尊ぶ、弱者に優しい)と親和性が高い「穏健なリベラル層」を指す言葉として、中立的に使われることもあります。
今回なぜ「心情左翼」の話から始めたかと言いますと、吉本隆明はいわゆる〈倫理的〉行為の「心情左翼的」な面を鋭く追及したからなのですが、それは(2)で論じます。