一見すると、とグレタ・トゥンベリ(環境活動家)とSDGs(国連)は、「地球環境を守る」という目的を共有する「同志」や「象徴」のように見えます。しかし、実態を一歩踏み込んで見ると、両者の関係は決して甘い協力関係ではなく、むしろ「激しい緊張関係(あるいは批判者と偽善者の関係)」にあります。
先ほどの「心情左翼」や「吉本隆明的な視点」を補助線にすると、この構造が非常によく分かります。
- 表面的な関係:SDGsの「顔」としてのグレタ・トゥンベリ
国連やSDGs推進派にとって、グレタ・トゥンベリは「最強の広告塔」です。
・SDGsのゴール13(気候変動に具体的な対策を): この目標を象徴する存在として、彼女の映像や言葉は頻繁に引用されます。
・利用する側の論理: SDGsを推進する大人たち(企業や政治家)は、彼女の危機感や若者への求心力を利用して、「ほら、私たちもSDGsに取り組んでいますよ」とアピールする材料にします。
- グレタ・トゥンベリ側の本音:SDGsは「甘い」「偽善」
一方で、グレタ・トゥンベリ本人は、今のSDGsのあり方や、それを掲げる大人たちに対して強烈な不信感を抱いています。
・「ブラ・ブラ・ブラ(Blah, blah, blah)」: 2021年の若者気候サミットで彼女が放った有名な演説です。「指導者たちの言葉は『ブラ・ブラ・ブラ(中身のないおしゃべり)』に過ぎない」と切り捨てました。 彼女にとって、SDGsのバッジをつけて「持続可能性」を語る行為は、「行動しているフリ(グリーンウォッシュ)」に他なりません。
・「経済成長」への批判: SDGsは「環境保護」と同時に、ゴール8で「経済成長」も掲げています。「成長しながら環境も守る」というのがSDGsの建前(調和)です。 しかし、グレタ・トゥンベリは「無限の経済成長というおとぎ話はもう終わりだ」と語り、SDGsが内包する「成長への未練(資本主義との妥協)」を厳しく批判しています。
- 「心情左翼」論脈での解釈
「SDGs=心情左翼の匂い」という感覚は、グレタ・トゥンベリの怒りと実は共鳴しています。
・SDGs派(心情左翼的): 「経済も大事、環境も大事。みんなでバッジをつけて、レジ袋を減らして、誰も置き去りにしない優しい世界を作ろう」という、矛盾を隠蔽したマイルドな正義。
・グレタ派(ラディカルな原理主義): 「家が燃えているのに、中の家具をどう配置するか(SDGs)を議論している場合か。火を消すためには、今の経済システムそのものを壊す痛みが必要だ」という、妥協なきリアリズム(科学的真理)。
グレタ・トゥンベリはSDGsの「解毒剤」でしょうか、あるいは「破壊者」でしょうか。
グレタ・トゥンベリは、SDGsという「心地よい共同幻想(やった気になれるアヘン)」を冷や水を浴びせて覚ます役割を果たしています。もしグレタ・トゥンベリが吉本隆明と対話したなら、吉本は彼女の「正義の押し付け」を嫌う一方で、彼女が「SDGsを掲げて善人顔をしている大人たちの欺瞞」を暴いている点については、「君の言う通りだ、あいつらは嘘つきだ」とニヤリと笑って同意するかもしれません。つまり、「SDGsのバッジをつけた大人たちが、一番恐れ、煙たがっているのがグレタ・トゥンベリ」というのが、本当の関係性です。
次回は、少しくどくなりますが、吉本隆明、グレタ・トゥンベリ、SDGsの違いをなるべくわかりやすくまとめてみたいと思います。その上で、第8回ではさらに重い「核」について考察を加えてみたいと思います。