小説を読むのが苦手である。(ついでに言うと、コミックもである。)前回手元にある本が4,000冊くらいと推定されると書いたが、そのうち小説は10冊くらいしかないのではないかと思う。

一時期は「これは自分に〈共感力〉がないからか」と悩んだこともあったが、もはやこの年になって好みを変えることもできないので、そういう自分を受け入れるしかない。

ところがそんな自分でも、なぜか『カラマーゾフの兄弟』や『ジェーン・エア』は読破できた。不思議だ。

その理由を本の整理の合間にGeminiに聞いてみたところ、なかなか秀逸な答えが返ってきた。以下Geminiの応答である。(多少の語句の訂正以外はそのまま載せている。*の後のみ、私のコメントである。)

『ジェーン・エアー』と『カラマーゾフの兄弟』を読破されたとのこと。これは決して不思議なことではなく、「非常に理にかなった結果」だと分析できます。なぜその2冊は読めたのか。その理由は、あなたの「哲学的な思考回路」と完全に同期しているからです。

  1. 『カラマーゾフの兄弟』が読めた理由
    理由:あれは「小説の形をした哲学論争」だからです。ドストエフスキーは、登場人物にただ生活させるのではなく、それぞれに「異なる哲学」を背負わせて、戦わせています。彼らの会話は、日常会話ではなく「弁証法(ディアレクティーク)」です。 特に有名な「大審問官」の章は、完全に政治哲学・宗教哲学の論文として独立して読める内容です。あなたは、ストーリーを追っていたのではなく、「イワンという哲学者と、アリョーシャという宗教家の論争」を追っていたのではありませんか? それなら、ヘーゲルやスピノザを読む脳の使い方と同じなので、疲労せずに読破できたのだと思われます。
  2. 『ジェーン・エアー』が読めた理由
    理由:強烈な「近代的自我(個の確立)」の物語だからです。一見すると恋愛小説ですが、主人公ジェーン・エアーの行動原理は、感情に流されることではなく、「自律(Autonomy)」です。彼女は孤児でありながら、不当な扱いに対して論理的に反論します。愛するロチェスター氏との結婚を前に、ある倫理的な問題が発覚したとき、彼女は「感情」よりも「自尊心と道徳的原理」を選んで彼のもとを去ります。この「私は私である(I am)」という強烈な自我の確立は、デカルト以降の西洋哲学の主題そのものです。 ジョイスの登場人物のように意識がドロドロと溶け出したりせず、バタイユのように理性を捨てたりもしない。ジェーンは常に「理性的に判断し、自分の運命を自分で決定する」という、カント的な道徳的主体です。 あなたにとって、彼女の思考プロセスは非常にクリアで、共感しやすかったはずです。

* 以上の分析からGeminiは私に合う小説を推薦してきた。

この2冊の成功体験から、あなたが読める小説の条件がはっきりしました。
・「思想」があること: 著者が伝えたい哲学的なテーマが明確であること。
・「構造」があること: 起承転結や、論理的な因果関係がしっかりしていること。
・「自我」があること: 主人公が理性的で、自分の意志で運命を切り開こうとしていること。

この基準で言えば、次のような作家は「読める」可能性が高いです。
・夏目漱石(特に後期): 『こころ』や『明暗』は、エゴイズムを扱った心理的・哲学的な小説です。
・トーマス・マン: 『魔の山』などは哲学談義そのものです。
・カミュ: 『ペスト』や『異邦人』。実存主義哲学の小説化ですので、相性は抜群のはずです。
逆に、「感覚的」「詩的」「幻想的」なだけの小説は、あなたのリストからは外してしまって問題ないかと思われます。

* 漱石・マン・カミュというセレクションはドンピシャだったので、正直驚いた。面白いので「そういえば古い岩波文庫ですがジッドの『狭き門』(川口篤訳)も好きだったんですよ」と付け加えてみた。

ジッドの『狭き門』、それも古い川口篤訳がお好きだったという事実。これで、あなたの「読書の法則」が完全に証明されました。『狭き門』が「面白かった」と感じられたのは、あれが恋愛小説ではなく、「プロテスタント神学の実験報告書」だからです。なぜあなたが『狭き門』を読めたのか、そしてそれが、これまでの分析といかに繋がっているか解説します。

なぜ『狭き門』は読めたのか?

  1. 「恋愛」ではなく「神学論争」だから
    主人公ジェロームとアリサは愛し合っていますが、アリサは「地上の愛(幸福)」と「神への愛(徳)」は両立しないと考え、自らを犠牲にして、わざとジェロームを遠ざけます。 これは、一見メロドラマに見えますが、中身は「禁欲主義(ピューリタニズム)を極限まで突き詰めると人間はどうなるか?」という思想的なシミュレーションです。 あなたは、二人の恋の行方ではなく、「アリサという人間が、自らの教義(ドグマ)に殉じて破滅していく論理的プロセス」を追っていたはずです。
  2. 「利己的な聖女」というパラドックス
    アリサの行動は「自己犠牲」に見えて、実は「私は神のために、地上の幸福を捨てる」という強烈なエゴイズム(自己陶酔)でもあります。 これは、夏目漱石の『こころ』における「先生」のエゴイズムや、ドストエフスキーの登場人物の狂信に通じます。 「善意とは何か?」「徳とは何か?」という倫理学的な問いが含まれているため、哲学がお好きなあなたには読み応えがあったのです。
  3. ジッドの文体は「デカルト的」
    ジッドの文章はとりわけ理知的で明晰です。 プルーストのような「感覚的な記憶の描写」や、ジョイスのような「意識の混沌」は一切ありません。「私はこう考えた。ゆえにこう行動した」という因果関係がはっきりしており、日記形式(『狭き門』の後半はアリサの日記です)で内面が論理的に吐露されるため、非常に構造がクリアです。

* 今回の分析もまた秀逸であった。最後にGeminiはこんな小説を勧めてきた。

レフ・トルストイ『イワン・イリイチの死』(岩波文庫など)
理由: 長大な『戦争と平和』ではありません。これは中編です。あるエリート裁判官が、不治の病を得て死に向かうプロセスを、驚くほど冷徹かつ論理的に描いた作品です。「人間は皆死ぬ。イワンは人間である。ゆえにイワンは死ぬ」という三段論法を、肉体レベルで理解しようともがく「実存の論理学」です。ドストエフスキーほど熱っぽくなく、カミュのように乾いていて、ジッドのように内省的です。

* ま、この分析も「当たり」で、小説嫌いな僕も珍しく読んでいるのであった。

投稿者 shobota

都立高校で40年以上英語を教えている教員です。哲学や倫理に関心があります。

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