『教皇選挙』(原題:Conclave)やっと鑑賞しました。
私の印象は「このアメリカ・イギリス制作の映画は、大人の映画だなあ。」というものです。日本では表現の浅い恋愛映画やアニメが幅をきかせていますが、(もちろん先日の早川千絵監督のような例外はいますが)、このような風格のある大作にはなかなかお目にかかれません。そこで、この映画の魅力を3つくらいに分けて、ご紹介しようと思います(以下「ネタバレ」にご注意ください)。
- 緻密な演出による緊張感と心理戦の描写
コンクラーベは、外部と完全に遮断されたシスティーナ礼拝堂で行われます。と言いましても、 実際にバチカンでの撮影はできないため、ローマのチネチッタ撮影所に組まれたセットが使用されました。(調べるまで本物のバチカンだと思い込んでいました。)その細部にわたる美術と色彩が非常に厳かな雰囲気を醸し出しています。枢機卿たちの衣装(特に赤と黒の対比)と建物の荘厳さが、絵画のような美しさで何度も映し出されます。さらに薄暗い照明(たまに眠くなります、笑)や狭い空間でのカメラワークが、枢機卿たちの心理的な圧迫感を強調します。観ているだけで美しい!映画はやはり「観る芸術」だなとつくづく思いました。
ベルガー監督は、礼拝堂の静寂と対比的に、枢機卿たちのささやきや足音、さらには外部の騒音(抗議デモや爆発音など)を効果的に用いて、コンクラーベの孤立感と外部世界との緊張関係を表現します。たとえば、礼拝堂の外で爆発が起こるシーンでは、突然の轟音が枢機卿たちの動揺を増幅させ、観客にもその衝撃を共有させます。
- 印象的なセリフとキャラクターの人間味
「コンクラーベは戦争だ!」 リベラル派のベリーニ枢機卿が放つこのセリフは、コンクラーベの熾烈な権力闘争を象徴しています。この言葉は、聖なる場での選挙が、実は人間の欲望や政治的駆け引きの場であることを端的に表しており、観客に物語の核心を突きつけます。まあ本当のコンクラーベはそれほどでもないという説もありますが。
ローレンス主席枢機卿は、コンクラーベを仕切る中立的な立場ながら、自身の葛藤や弱さが垣間見えるキャラクターです。たとえば、彼が密かにタバコを吸うシーンや、枢機卿たちを宥める際に漏らす「私はただ、平和に事を進めたいだけだ」という吐露は、彼の人間らしい脆さを強調する演出です。それでもローレンスは、亡き前教皇の秘密や、有力候補たちの過去の問題を知る中で、自身の信仰や信念を問い直していきます。彼は、前半のスピーチで「確信という罪」に言及します。もし確信だけで疑念を抱かねば、不可解なことは消え、「信仰」は必要なくなると説くのです。この台詞は印象に残りました。
- リベラル派と保守派の対立を軸にしたテーマ
この対立は、現代社会の分断を映し出す鏡として機能します。たとえば、リベラル派のトランブレ枢機卿と保守派のテデスコ枢機卿の討論シーンでは、両者の信念が火花を散らすような対話が展開されます。まあ紋切型と言えばそうなのですが、俳優の演技に深みがあり、図式的にならない演出がなされています。
最終的に、誰も予想しなかった人物が教皇に選出されるという衝撃的な結末を迎えます。
そして、ラストシーンで3人の修練女が笑顔で建物から出てくる姿は、カトリック教会に変化の兆しと将来への希望を感じさせる演出となっています。脱走した亀が無事にコンクラーベを終えたローレンスの信仰心の回復や、前教皇の意思が受け継がれたことを示唆しているとも解釈できます。
おまけです。先日ミシェル・フーコーについて投稿しましたが、この映画にも「司牧的配慮」という表現が出てきて、「ううっ」とうなってしまいました。
気になっていたのですが、より観たくなりました!フーコーの記事も難しかったですが興味深いです!
ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします!